デビュー2年で月給「100万円」→バイト生活 宮川大輔、当時の金銭事情明かす「感覚マヒして」
MBS『かまいたちの知らんけど』に出演
タレントの宮川大輔が9日深夜、MBS『かまいたちの知らんけど』(土曜深夜0時28分)に出演。若手時代の金銭事情を明かした。 【写真】「別人!?」「どちらもかっこいい!」と驚愕…宮川大輔の眼鏡もかけていない32年前の姿 1991年に星田英利とチュパチャップスを結成した宮川は、同年にコンビでナインティナイン、雨上がり決死隊らとユニット・吉本印天然素材に参加。アイドル的人気を集めた。宮川は、東京での活動を聞かれ「デビューしてすぐやから、天然素材で東京にレギュラーができて、大阪はそんな人気なかったというか、番組とかそんなやってなかったから」と説明し、「東京に週4で行ってみたいな。月3分の2行ってたんは19歳のとき」と振り返った。かまいたちは「早い」と驚いた。 山内健司が「食べれるようになったのはめっちゃ早い?」と聞くと、宮川は「早い。そんときにホンマ(月給)100万(円)とか。19、20歳」と告白。濱家隆一が「マジっすか。デビュー1、2年目ですよね」と仰天すると、「2年目、3年目。だから友達やらと、京都帰ってご飯食べに行こうかいうても“かに道楽”行ったり」といきがってたとした。 当時の自身について、宮川は「最悪。なんか見せたかったんもあるし、でも最悪やったと思う。その辺の金銭感覚マヒして」と語った。濱家が「芸人として金銭面の下積みみたいなのはそこまでなかった?」と聞くと、「なかった」と返答。「そこからやねん。23歳ぐらいで落ち目になったとき。25歳で東京出てくんねんけど。そんときがやっぱ一番(苦しかった)」と打ち明けた。 山内が「1回お金持ってから、またなくなったっていう」と言うと、宮川はうなずいた。山内が「それは天素が解散して、『すべらない話』とか『イッテQ!』が決まるまでの期間ってことですか。2年ぐらい?」と確認すると、「いや、もっとやで。5、6年ずっとバイトして」と明かした。山内が「そっからバイトなんすね」と反応。濱家も「その方がきついっすね」と言うと、山内も「その方が嫌や」と同調した。宮川は「コンビ別れてからは役者の方というか、舞台とかあっちに行ったから。そら食えるわけなくて」と口にした。
ENCOUNT編集部