「とんでもないクソバンド」がもたらした若き日の契機…ミュージシャン・佐橋佳幸がJ-POPに欠かせない存在となるまで
「UGUISS」でついにデビュー
佐橋が組んだバンド「UGUISS」は、当時まだ新しいレーベルだったEPICソニーから1983年9月にデビューした。同期は大江千里、先にデビューしていたのはシャネルズ(後のラッツ&スター)や一風堂など。UGUISSの数カ月後にはTM NETWORKがデビューするというレーベルの黎明期だった。 UGUISSはシングル「Sweet Revenge」、アルバム「UGUISS」でデビュー。翌1984年4月にはシングル「夢を抱きしめて(Cause Of Life)」を発売し、同年暮れにセカンドアルバムを完成させ、発売間近の段階まで来ていた。だが、ボーカルの山根栄子の体調の問題もあり、バンドの継続が難しいと判断。突如解散し、セカンドアルバムの発売も幻となった。 今後の身の振り方を考えた佐橋が相談したのは、高校の先輩である清水とEPOだった。2人は当時、同じ事務所に所属していたことから、佐橋もそこに加わり、改めてスタジオミュージシャンとしての仕事を始めた。当初は清水の仕事を手伝っていたが、そのうちに引き合いが多くなっていった。 その頃、清水に「今度、俺たちの高校の後輩がデビューする。俺が1曲アレンジするから、お前、ギターを弾きに来い」と言われた。都立松原高校で5学年下だったその後輩が渡辺美里だ。同じEPICソニーだったこともあり、セカンドアルバムの「Lovin’ You」のギタリストとして呼ばれた。
「とんでもないクソバンド」に驚愕
その頃の渡辺は、セカンドアルバムの半年前に発売されたシングル「My Revolution」大ヒットしたことから、急遽、全国ツアーが決まっていた。そのサポートバンドに佐橋も入ることになったが、集まったメンバーの演奏を聞いて驚愕する。 「言葉を選ばずに言えば『とんでもないクソバンド』だったんです(笑)。『こんなので金をもらってんのかよ』と思うぐらいのひどさでしたが、内心そうは思っていてもツアーは始まってしまう。初日は札幌市民会館だったんですが、予想通りにひどくて。その1週間後には、東京の渋谷公会堂での2日間公演も待っていました。東京に戻る飛行機の中で、美里のマネージャーとEPICの担当者に『ちょっと生意気言っていいですか? あいつら全員クビにして、違うメンバーでやった方が良くないですか?』と言ったんです」 この話が通り、羽田空港に降り立つやいなや、公衆電話から知っているミュージシャンに電話をかけまくった。UGUISSの柴田らを呼び、佐橋以外のメンバーを全て入れ替えた新たなサポートバンドが結成され、結果的にツアーは大成功した。 これを機に、佐橋は渡辺のサポートバンドを全面的に任されることになり、譜面も全て書き直した。こうした実績から、各方面から声が掛かることが多くなり、スタジオミュージシャン、あるいはアレンジャー、プロデューサーとしての王道を歩むこととなった。