豪商「収益を独占しなかった」 京都・亀岡で角倉了以ら親子再評価の研究会
大堰川(保津川)を開削した京の豪商・角倉了以(1554~1614年)と子の素庵を再評価する角倉研究会がこのほど、京都府亀岡市文化資料館(古世町)で開かれた。大学教授ら2人が講演し、国内外で展開した壮大なスケールの水運事業をたどり、「全体としてお金が回るよう、収益を独占しなかった」と互恵的な思想を紹介した。 水文化が専門の鈴木康久・京都産業大教授は、角倉父子が高度な土木技術で大堰川や高瀬川の航路を開発したほか、幕府から権限を与えられて淀川水系の舟運で支配的立場にあったと解説した。 一方、角倉家がその収益の半分以上を取ることはなかったと言われているとして、「経済的価値があったから舟運に目を付けたが、強欲は駄目だと考えていた」と分析。「(府による新たな観光プロモーション)『川の京都』に角倉家の物語は生かせる」と訴えた。 ベトナム在住のライター新妻東一さんは、東南アジアとの朱印船貿易に使った「角倉船」に焦点を当てた。同船でタイに渡った天竺徳兵衛が残した見聞録、清水寺に奉納された絵馬、京都市内の寺に伝わる屏風(びょうぶ)絵などを基に話した。 見聞録によると、397人が乗る非常に大きな船で、80人ほどの船員以外は乗船賃を払って渡航先で買い付けする商人だった。航海士はポルトガル人ら外国人が大半を占めたとし、屏風絵の船上で西洋すごろく「バックギャモン」に似た遊びが描かれるなど国際色豊かな様子も説明した。 研究会は学識者らでつくる京都文化創生機構(京都市)が、2026年に迎える大堰川開削420年の記念事業に向けて立ち上げた。2月に続く2回目で約50人が参加した。