南北米大陸を跨ぐCOPANI=あなたの国の日系社会教えて(3)=カナダ、家族史から日系社会へ
COPANIにカナダから同国日系人として唯一参加したケヴィン・オカベさんは、全カナダ人日系人協会のエグゼクティブディレクター事務局長を務める。ケヴィンさんはパラグアイを始めとする南米日系人の日本語継承や日本文化への強い関心に驚きを隠せずにいた。 カナダへの日本人移住最初の記録は1877年だ。ケヴィンさんによれば、日系カナダ人は第2次世界大戦の影響から日本人街を作ることをしなかった。その為、現在の日系カナダ人で日本語を話す者はほぼおらず、日本文化を引き継ぎたいという想いを持つ若者も少ない。戦後、カナダ政府が資金協力し、日系カナダ人による日本文化センターが建設されたが、日系人で訪れる者は少なく、ケヴィンさんはカナダから日系社会がなくなる危惧を抱いている。 ケヴィンさんは自身の先祖がどうしてカナダに移住してきたかについて興味を持ち、日系人やその歴史にも関心を抱いた。 ケヴィンさんの亡くなった父は戦時中にカナダ政府による強制退去命令で家や土地を奪われた経験を持つが、生前そのことについて話すことは無かった。 ケヴィンさんは自身のルーツや家族史にまつわる文献を探す活動を始め、見つけた親戚のインタビューは大切に保管しているという。 ケヴィンさんの妻、前橋直子さんは日本からの移住者。直子さんも家族史に対して同様の想いを持ち、南米に移住した親戚の行方を調べているという。 直子さんの親戚は、鹿児島からペルーやブラジルに移住した。連絡を取っていた親戚が亡くなってしまったことなどで交流が途絶えてしまった。南米に移住した親戚の一人は、父の叔父で名前は前橋藤吉(故人)。息子の名前はロベルトだという。 直子さんは「南米に渡った理由や日本への思い、現地での生活について色々なお話を伺いたいです。日本の家族の話も伝えたい。日系人の方々はどこか日本の家族と繋がりたいという思いはあるのではないかと想像していますし、私も同じ気持ちです」と語った。 カナダと南米の日系社会における大きな違いの1つに、カナダには今でも日本人移住者が多く来ることが挙げられる。ケヴィンさんは「新たな移住者が日本文化をカナダに持ってきてくれる。そうした中で、カナダで日本文化が受け継がれていって欲しい」と話した。