シド・ヴィシャスの死後、母が見つけた直筆のメモ「一緒に死ぬ約束をしてたんだ」…パンクのアイコン的存在として君臨した男の劇的な最期
シド逮捕、バスルームでは血まみれのナンシーが…
「俺はイギリスに帰ってまともになるんだ」 「できっこないわよ! いつも同じことばっかり!!」 「うるせえ!」 1978年10月13日。シドが目覚めると、ベッドは血の海で、バスルームでは血まみれのナンシーが倒れていた。シドは容疑者となり、警察に拘束される。 シドがナンシーを殺したのか? 凶器となったのはナイフ(シドの所有物)だった。 しかし、そのナイフは指紋が拭き取られている状態で、シドの手元に入ったばかりの 『My Way』の印税2万ドルがすべて無くなっていた。 シドはナンシー殺害とされている時刻には、睡眠薬の過剰摂取によって昏睡状態にあり、医師による調べの中で服用した量から推測すると、少なくとも5時間は意識のない状態だったことが分かっている。 その間、チェルシー・ホテルの二人の部屋には、複数人が出入りしたことも確認されており、彼が昏睡状態だったことが証言されている。
「俺達の間には“死の取り決め”があった」
ナンシー殺害についてはいくつかの説がある。 当時ナンシーにドラッグを売っていた男が、前日には酒代をせびるほど金に困っていた様子だったにもかかわらず、ナンシーが殺害された翌日には新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れたというのだ。 その他にも、二人が自殺を図り、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もあるが、これだと指紋が拭き取られて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつかない。 後日、シドはレコード会社(ヴァージン)が多額の保釈金を支払ったことにより保釈された。シドはリハビリ生活を送るものの、精神的にも非常に不安定な状態にあった。 そして翌1979年2月2日。ベッドの上に倒れていたシドを母親が発見。ベッド脇のテーブルにはドラッグを使用していた形跡が残されていた。さらに革ジャンのポケットの中から直筆の遺書らしいメモも発見された。 「俺達の間には“死の取り決め”があった。一緒に死ぬ約束をしてたんだ。こっちも約束を守らなきゃいけない。今から行けば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。レザージャケットとバイクブーツを死装束にして。さようなら」 母親は息子の遺言に従って、ナンシーの遺族にそのことを申し入れたが、強く反対された。後日、人知れず息子の墓を掘り起こした母親は、その遺灰をナンシーの墓に撒いたという。 以降、ファンの間ではナンシーの墓を「シド&ナンシーの墓」としている。その墓標は、アメリカのペンシルベニア州にあるキング・ダビデ・セメトリーの外れにひっそりとたたずんでいる。 文/TAP the POP 引用元・参考文献 ・映画『シド・アンド・ナンシー』 ・『シド・ヴィシャスの全て VICIOUS―TOO FAST TO LIVE』(ロッキング・オン)/アラン・パーカー (著), 竹林 正子 (翻訳)