シド・ヴィシャスの死後、母が見つけた直筆のメモ「一緒に死ぬ約束をしてたんだ」…パンクのアイコン的存在として君臨した男の劇的な最期
どうしようもなく面倒で幼い二人だった
パンクが蒔いた種は、インディペンデント・レーベルやニュー・ウェイブの花となってイギリス中に咲き誇ることになる一方で、体制側には“鉄の女”サッチャー政権が誕生する。 そんな矢先の1979年2月2日。4ヶ月前に20歳で世を去った恋人ナンシー・スパンゲンの後を追うように、シド・ヴィシャスが21歳の若さで逝く。麻薬の過剰摂取が原因だった。 ピストルズの二代目ベーシストとして加入後、そのカリスマ性で「シドこそリアル・パンクス」という評価がある反面、「あいつはミュージシャンじゃない」「ただのジャンキーでどうしようもない奴」との声もある。 だが、ステージ上で血まみれになってベースを弾く姿や、エディ・コクランのカバー『Something Else』や『C'mon Everybody』、フランク・シナトラのカバー『My Way』を歌うシドを目にすると、この男がもし生きていたらと、虚しい想像をしてしまう。 ジョニー・ロットンから誘われてピストルズの新メンバーになったシドは、ある日アメリカから来たナンシー・スパンゲンと出逢う。虚言癖があり、ジャンキーで約束も守らない彼女とパンクな日々を送るシドは、まだ運命の関係となることに気づいていない。 次第にドラッグに深く溺れてバンド活動もまともにできなくなっていくシド。ジョニーはナンシーに悪因があることを見抜くが、強気なナンシーはシドと別れない。 アメリカのツアー先でバンドが分裂すると、二人はパリを旅行して『My Way』を撮影後、ニューヨークで暮らし始める。常宿となったのは、作家・ミュージシャン、画家や俳優が居住することで有名なチェルシー・ホテル。 しかし、一歩も外に出ずにベッドでドラッグをやり続けるか、金に困るとギグをするか、その繰り返しだけで時を過ごしてしまう。どうしようもなく面倒で幼い二人は、ナンシーの家族からも煙たがられ、心の居場所を永遠に失う。 金もドラッグも尽きようとした時、悲劇は起こる。