5人死亡、息を引き取った親族ら…あの日一瞬で気絶した13歳、今は原爆被団協の名誉会長に 数日前に会ったばかりの伯母も死亡、遺体を焼いて大声で泣いた記憶
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員で、県原爆被害者協議会(しらさぎ会)名誉会長の田中熙巳さん(92)=新座市=が16日、さいたま市浦和区の県立浦和高校で講演した。被団協のノーベル平和賞の授与決定後、田中さんが講演するのは初めて。2年生約350人を前に壮絶な被爆体験を語った田中さんは「一発で何十万人と殺せる核兵器を絶対に使わせないことは、若い人の未来の問題」と強調し、「日本政府は核兵器禁止条約に署名をしてくれない。各国が共存するために日本政府は全力で努力すべき」と力を込めた。 少女気絶、ピカッと光った一瞬で…気付くと自分ひとり座っていた
田中さんは13歳の時、長崎で被爆した。爆心地から約3・2キロの自宅で本を読んでいると、1機の爆撃機の音が聞こえた。数日前に大規模な空襲があったばかりで「1機なんて怖くもなかった」が、直後、白い光が視界を埋めた。気絶したが、ほぼ無傷だった。 しかし、爆心地から数百メートルの場所に住む親族5人を亡くした。被爆後3日目、けが人や死者が散乱する爆心地付近の惨状にがくぜんとし、数日前には生きて会った伯母の遺体を焼いた時、大声を上げて泣いた。軍国少年だったが、「こんな殺し方は絶対にいけない」と感じた。 1956年に被団協が発足し、70年に核兵器不拡散条約、2021年には核兵器禁止条約が発効した。田中さんは「全国の被爆者団体には高齢化で活動停止したところもあるが、ノーベル賞をきっかけに再開してほしい」と期待しつつ、「若い皆さんが無関心でいて、核戦争が起きたらやり返し合って大変なことになる。広島、長崎で使われた核兵器がどんな苦しみを与えたのか勉強してほしい」と訴えた。
講演後、多くの生徒が田中さんに質問し、その一人は「被爆者支援などが行われているのに『政府は何もしていない』と言う人がいる」と首を傾げた。田中さんは「唯一の戦争被爆国の日本政府が、広島と長崎の被害を世界に伝えていないのは残念で悔しい」と答え、「地球上の核をなくすために全力で取り組むのが政府の仕事で、そうさせるのが国民の仕事」と説いた。 2年生は11月、修学旅行で広島の平和記念資料館などを訪れる。講演を聞いた斉藤春希さん(16)は「歴史で学んだよりも原爆のおぞましさをリアルに感じた」と振り返り、島村大輝さん(16)は「核は簡単にはなくならないと思うが、信頼を築き、対話を通じて廃絶を進めたい」と話した。 約1年半前から講演会を企画した及川栄恵教諭は「被爆者が若者に託したい思いを生徒に受け取ってほしい」と願う。終了後も残って田中さんらに話を聞いていた数人の生徒たちに「皆さんは今日、被爆者からバトンを受け取った。その責任があるんだよ」と声をかけ、生徒らも神妙にうなずいていた。