忙しいからこそ海外へ絵を見に行く…生保社長「フェルメールに心奪われ30分立ち尽くした経験が自分を作った」
企業トップが、さまざまなテーマで教壇に立つ――。それが「社長が教える学校」です。 ■歴史に残る仕事とは 【この記事の画像を見る】 フェルメールとの出会いは2007年、飛行機の中でした。当時、私は単身赴任で毎月のように東京―秋田便を利用していたのです。機上の楽しみはANAの機内誌「翼の王国」で、生物学者・福岡伸一さんの「フェルメール 光の王国」という連載を読むことでした。 私は絵画鑑賞が好きで中世ルネッサンスの宗教画から19世紀後半の印象派まで幅広く見てきたのですが、科学的な視点から芸術作品を読み解き、実際に作品が所蔵されている美術館に赴いて鑑賞する福岡さんのスタイルに感銘を受けました。 「私もフェルメールに“会いに行く旅”がしたい」との思いが実現したのは、3年後。ハーグ(オランダ)のマウリッツハイス美術館で「デルフトの眺望」と対面しました。作品を前にした瞬間、私は心を奪われてそのまま30分以上も立ち尽くしてしまいました。 フェルメールは“光の魔術師”と称されます。精緻な光のつぶだちに誘われて、まるで自分が風景画の中に取り込まれてしまったような、不思議な感覚を覚えたのです。 作品に描かれたデルフトの街に行ってみると、350年以上も経っているのに、当時と変わらぬ風景が広がっていました。さらに奇跡的なことに、空の色や雲の形までもがフェルメールが描いたそれと、ほぼ同じだったのです。その光景を目の当たりにしたときの驚きと感動は、筆舌に尽くせません。 スヒー運河のほとりに腰掛け対岸の街並みを眺めながら、私はフェルメールが生きた17世紀に思いを馳せました。この風景をどう見て、後世に何を伝えようとしたのだろう――。
■絵画を観るということ 絵画鑑賞は見る者がその背景にある歴史や文化、画家の人生や作品に込めた思いを理解しようとし、想像を膨らませることで、豊かで広がりのある体験になるのだと思います。 16世紀中頃から後半にかけてのヨーロッパは、美術史的には「マニエリスム」の時代です。ルネッサンス期からの流れで宗教的なテーマが題材とされることが多く、表現は感情的で寓意[アレゴリー:林檎(アトリビュート)が原罪を意味するようなこと]が多用されました。それは絵画が祈りをつなぐツールとしての役割を担っていたことと関係しているはずです。 フェルメールはマニエリスムの後、バロック期に誕生した画家です。引き続き宗教画が多く描かれた時代ですが、彼は宗教画をあまり描いていません。オランダはプロテスタントの国で、クライアントが教会から市民の富裕層に移ったこともあり、宗教画よりも風景画や日常を描いた作品が好まれました。有名な「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」も、市井の人や庶民の生活を描いています。 人間の脳は右脳が感性、左脳が論理を司っているとされます。作品そのものの迫力や美しさに感動するのは右脳ですが、作品にまつわる知識を理解するのは左脳です。左脳に知識を備えて改めて作品を目にすると、初見とはまた違った視点で作品を楽しめます。 美術作品はまた“実物”を見ることに、計り知れない価値があります。作品の大きさや筆跡、絵の具の厚みなどを通じて画家の存在をリアルに感じ、自分が作品に溶け込んでいく感覚を味わうことができるからです。 企画展などがあると、日本でもいながらにして世界の名作にお目にかかれる機会があります。それは幸せな機会ではありますが、所蔵の美術館まで行くと、作品が置かれた空間の雰囲気、他の作品との配置の間合い、静寂の中で心ゆくまで何時間でも見入っていられます。その場所へたどり着くまでの旅程もまた、作品に対する思いの一部になるでしょう。 その時代の人々の価値観や表現の技法、画家の思いを次世代に伝え残していく絵画は、私たちが扱う生命保険にも相通じるところがあります。設計上は数学的要素が強い商品ですが、その根底には過去と今をつないで未来をつくっていきたいというお客様の“思い”がベースになっているからです。