本場・大阪「恵方巻き」とは 発祥の地はUSJ近くなの?
村域の大半が新淀川の川底に沈むもわずかに残ったエリアで
「神棚に感謝を」と諭した大人の配慮に、若衆宿らしい教育機能が働く。ひとことの教育的助言がなければ、巻き寿司の丸かぶりだけに終わり、後世に伝承されることもなかったかもしれない。申村の若者たちの風習は、歳月を経てさまざまな出合いを重ねながら収斂(しゅうれん)され、恵方巻という全国的なビッグイベントへ進化を遂げてきた。 申村は明治期の淀川大改修に伴い、村域の大半が新淀川の川底に沈み、わずかに残ったエリアが現在の伝法町内に組み込まれた。地域の守り神である庚申堂の堂名が、申村の記憶を受け継ぐ。住民が力を合わせてお堂を守り続けている。 民衆の生活史に関する情報は、一般的に公的文献などに残りにくい。評価も難しいが、行政が動いた。此花区役所が勝さんの著書や此花区郷土史研究会の研究成果を尊重。伝法を巻き寿司丸かぶり発祥の地と伝わる地域との観点から、地域振興に向けて顕彰に乗り出す。2013年の節分から、同研究会や此花飲食業協同組合などと連携。巻き寿司丸かぶりをテーマとするポスターやチラシを作成して掲示し、ホームページでも公開してきたという。世念講の精神は今も息づく。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)