本場・大阪「恵方巻き」とは 発祥の地はUSJ近くなの?
主役は仏教が伝来した港町の若者たち
さて、話は戻るが恵方巻の起源などは「大阪商人が商売繁盛を祈って始めた」「のり組合などがイベントを始め広まった」といた諸説がいろいろあるが、筆者は大阪市西部が発祥の地とされる説に着目した。 筆者がやってきたのは、テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)などがある大阪市此花区は伝法(でんぽう)という地区だ。仏法、つまり仏教が伝来したとされる由緒ある地名だという。 水都大阪の玄関口として、長らく水運や交易の拠点として栄えてきた。現在、ウナギ漁などの拠点となっている伝法港が、往時の名残を宿す。 現在の伝法の一部にあたる申(さる)村に、世念講(よねんこ)という風習があった。若者たちが2つの宿に男女別々に集合。朝までともに過ごし、大いに語り合う。全国的に地域の教育組織だった若者組の一種で、若者たちが集まる施設を若衆宿などと呼んだ。 一定の年齢に達すると、もはや子どもではない。大人になる前段階と認知された上で、一人前の大人になるために欠かせない人間教育を受ける人生の通過儀礼のひとつだった。団結心も養う。申村の世念講で巻き寿司の丸かぶりが始まったという。以下、地元で生まれ育った勝安男さんの著作「伝法のかたりべ(五)」の記述をもとに再現したい。
巻き寿司を早く食べたい若者の注文とは?
若者たちが集まるのは節分の日。運動部の全体合宿を想像すればいいだろうか。食べ盛りの若者たちの集会だけに、食事の世話をする女性たちは忙しい。食事は巻き寿司が習わしになっていたが、若者たちが多いため、巻き寿司の調理が間に合わない。 「姉さん、切らんとそのままおくれんか。腹が減ってグーグー言うとるわ。上品な食べ方をせんでも、みんな顔見知りのもんばっかりや」 「そうやなぁ。そうしてくれたら大助かりや」 巻き寿司の丸かぶり誕生の瞬間。作法より食欲優先のファストフード革命だ。宿の女房が「あんたら、ちょっと待った」と機転を利かす。 「寿司をかじるとき、家の神棚に、今年も元気でいられるようにと、拝んでからかじるのんやでぇ」 「そうかぁ。来年も達者でみんなと一緒に寿司を食わしてもらえるようになぁ」 世念講の主役は村の若者ばかりではない。各地から集まった船員や荷揚げ労働者たちもいたことだろう。たくましい若者たちが我が家の方角を向き、神妙な面持ちで巻き寿司にかぶりつく。てんでばらばらに、あちこちを向いて、がぶり。恵方巻の原点ともいえる光景だ。