「私どもの不始末を…」キングメーカー・田中角栄元首相は深々と頭を下げた 行政改革が2010年以降、下火になった事情とは
1982年の夏、東京都内の料亭にあるメンバーが招かれた。下座に控えるのは田中角栄元首相。深々と頭を下げると、こう言った。「私どもの不始末をいろいろ整理していただき、ご苦労をかけ本当に申し訳ない」 首相退任後もキングメーカーとして政界に君臨する男とは思えぬ神妙な態度と言葉に、上座の面々は驚いた。 この時、政界では行政改革の議論が進み、大きな政治テーマとなっていた。土光敏夫氏率いる第2次臨時行政調査会(臨調)が3公社(国鉄、日本電電公社、日本専売公社)の民営化に向けた議論を進め、翌1983年3月には最終答申がまとまった。料亭に集められたのは土光氏と、戦後の政財界で隠然たる影響力を発揮し、臨調メンバーでもある元伊藤忠商事会長の瀬島龍三氏。行革に田中氏が強い思いを抱いていたことがうかがえる。 行政改革は1980~2010年代までかんかんがくがくの議論が交わされ、第2次臨調を含め過去に4回、大きなうねりを迎えた。しかし、ここ10年近くは政治のテーマに上ることがほとんどなく、議論は下火だ。
議論や行革が進まない事情はなぜか。日本の統治機構は既に完成の域に達したと言えるのだろうか。それぞれの時代で行革を主導した3人の元官僚や専門家の証言を聞くと、「リーダーシップ」と「国民目線」がキーワードと言えそうだ。(共同通信=高城淳) ▽行政改革の大きなうねりは過去4回 まず、過去4回の行革を振り返る。 最初は1985年と、1987年の3公社(国鉄、日本電電公社、日本専売公社)民営化だ。第2次臨調が主導し、JRやNTT、日本たばこ産業(JT)にそれぞれ衣替えさせた。 次に橋本内閣が打ち出し、森内閣の2001年に実現した中央省庁再編。1府22省庁から1府12省庁に整理した。 続いて2007年の郵政民営化だ。小泉純一郎元首相の「聖域なき構造改革」は政策スローガンになった。 最後は「政治主導」の実現を目的とした安倍内閣による2014年の内閣人事局の発足だ。 こうして見ると、それぞれの背景に高度経済成長の終焉や財政赤字の増大、経済構造の転換や国際化といった時代の変化があることが分かる。