【三浦泰年の情熱地泰】五輪出場、Jリーグの日、古巣対決… 歴史の積み重ねを感じた5月の日本サッカー界
5月15日はJリーグの日。あっという間に31年の年月が経った
ちょうど1年前、父の余命が宣告された。5月の末だった…。 宣告された余命から3か月後に亡くなった父。父は「泰年と知良」の良き理解者であり、越えられない存在だった。 その5月のゴールデンウィークには、円安の影響を受けながらも海外に行く日本人もいれば、逆にインバウンドで日本に来るたくさんの外国人の方々がいた。 またまたあっという間に1か月が経つ。このコラムを楽しみにしてくれている人たちは「そろそろかな?」と思っていたであろう。 5月もいろんな事が起こった。4月末から行なわれたアジアカップは見事に5月3日に行なわれた決勝戦を制して、優勝でオリンピック出場を決めた。もちろん苦しい戦いではあっただろうが、U-23日本代表の選手たちの歓喜は誇りに思う。そして感謝の気持ちでいっぱいだ。 サッカー人生でファイナルを味わえることは本当に少ない。どんな良いチームにいても、簡単に優勝を勝ち取ることはできない。 今回は、正直言って見るのが怖かった。僕は韓国戦あたりから、結果を聞いて時間差で喜ぶように切り替えた。 朝、目を覚ましテレビをつけたら勝っている。これが一番「嬉しい?」かもしれない。 正直、試合を見るタイミングを逸していた事もあるのだが…。 グループリーグの大一番、韓国に最終戦で敗れ、2位通過で地元カタールとの大接戦を制してオリンピック出場にリーチ。カタール戦から決勝までリアルタイムでの観戦を避けたのは、験(げん)を担ぐ意味もあったが、色んな想いを積もらせ、ストレスある応援は避けて、勝った結果に一喜する。 現場で頑張ってる人たちに申し訳ないが、朝起きて勝利している。本当にそれが一番良い(笑)。 それから半月ほど経ち、5月15日はJリーグの日。1993年発足からあっという間に年月が経ち、記念日として認定登録され31周年目を迎えた。 その日の朝のテレビ番組「ラヴィット」には、ラモスさんと坪井君が生出演していた。 Jリーグ発足当時の前哨戦92年からプレーし、2003年で引退した僕にとって、その後のJリーグや日本代表の発展は、物凄いハイスピードに映っている。僕が引退してからの20年の日本サッカー界は、本当に信じられない速度で進化してきたと思う。 そして5月22日に弟のカズがポルトガルから帰国。彼にとって大きな経験が人生にとってプラスさせたシーズンになった。チーム残留という結果しかなかったようだが、無事に日本へ戻り、父の一周忌を前に初めて静岡の地元で御墓参りをしたという。 そしてまた、新シーズンを新天地でとなるのであろうが、まだカズには会えていない(笑)。