投手転向、主将兼監督就任…硬式野球継続断念も、軟式野球に出会ったからこそ訪れた「転機」と日本代表入り
大学軟式野球日本代表は昨年12月、新型コロナウイルスの影響で2020~22年は中止していた海外遠征を行い、台湾で現地の大学生らと交流した。代表入りした選手23人の内訳を見ると、地区別では東北地区大学軟式野球連盟の4人が最多。東北地区は近年、各大学の実力が拮抗してきており、全国レベルの選手が次々と育っている。 東北地区から選出された4人のうち、丸山祐人投手(東北学院大)、嶺岸奎内野手(仙台大)の4年生二人は今春、大学卒業を迎える。丸山は2年連続、嶺岸は初の代表選出。日本代表での活動について、丸山は「自分の行動一つで大学軟式の世界が変わるという思いを持ちながらやっていました」、嶺岸は「海外との交流を含め、どの試合のどの場面を切り取っても軟式野球の良さが伝わって、発展につながればいいと思っていました」と口にする。そんな二人の野球人生をたどった。
紆余曲折を経てたどり着いた「軟式×投手」で開花
仙台市出身の丸山は、野球を始めた小学4年生の頃から大学2年の春までは野手として試合に出場していた。仙台市立の仙台高校では1年秋からベンチ入りし、3年春には三塁のレギュラーを奪取。主に下位打線に名を連ね、最後の夏は県大会8強入りに貢献した。
元々は大学でも硬式野球を継続するつもりだったが、道具代や遠征費がかさむ硬式野球部は金銭的なハードルが高かったこともあり、軟式野球の道を選んだ。東北学院大では「『9人で勝っても面白くない』という考えで、誰一人見捨てず、全員で戦って全員で勝つ」野球を通じて軟式野球の魅力を知り、野球の醍醐味を再認識した。 そして大学2年の春、転機が訪れる。下級生ながら二塁の定位置をつかんだリーグ戦の期間中、左手の中指を骨折。戦線離脱を余儀なくされたものの、右手を使うことはできたため打撃投手を務め、その流れで投手に挑戦することとなったのだ。当初は投手経験がなく、軟式球に慣れていなかったため、投球フォームが定まらない上に思うようにボールをコントロールすることもできなかった。それでも、高校、大学の先輩から投球フォームやトレーニングについて教わるなど練習と研究を重ね、地道に投手力を上げていった。