「手は打つが焼け石に水…」 5年の出生者わずか2人 埼玉県内唯一の村の苦悩
市町村の行財政基盤強化に向けた「平成の大合併」などを経て埼玉県内で唯一の村となった東秩父村。令和4年の出生者数は9人で県内最少、5年も2人しか生まれておらず、人口減少対策は待ったなしだ。この夏、12年ぶりの村長選が行われ初当選を果たした元村議の高野貞宜村長はさまざまな対策を検討しているが、「焼け石に水なのは分かっている…」と漏らしており、少子高齢化が進む日本の地方社会の縮図となっている。 【表】日本の100歳以上の高齢者人口の推移 ■半世紀で人口半減 「このままでは人がどんどん少なくなっていくという不安はある。買い物をするには車が必要で、年寄りは生活が大変」 東秩父村の主婦(59)は村の先行きについてこう漏らす。 こうした不安の通り、村は縮小を続けている。人口は令和6年9月時点で2423人。2年の国勢調査では2709人だったので、4年で約10%も減った。昭和50年の国勢調査では4931人だったので、半世紀で半減している。 減り方が著しいのが若者の人口。5年ごとに実施される国勢調査の結果では、0~14歳は平成17年以降、15~29歳は22年以降は前回比で20%以上減少し続けている。一方、65歳以上の高齢者率は高くなり続け、令和2年時点で46・55%となっており、50%を超えるのも間もなくだとみられる。 ■働き口がない 人がいなくなる理由はさまざまだが、その要因のひとつが働く場所がないところだ。 面積約37平方キロのうち約76%の28平方キロが山林で農業に適した土地は少ない。昭和40年代までは木炭の産地だったが、現在はほぼ炭焼きは姿を消している。目立った産業もない。 村の男性(66)は「村民で働いている人のほとんどは村の外に通勤しているし、若い人は仕事がないので高校を卒業したら村を出ていってしまう。せめて働き口があれば」と話す。 村は隣の小川町とともに国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された「細川紙」の手すき技術で知られる。村の中心部には観光施設「道の駅 和紙の里ひがしちちぶ」があり、観光客でにぎわっているが、観光が村を支える産業にはなっていないという。 ■人口1千人以下の自治体研究も