『室井慎次 敗れざる者』が“『踊る』らしさ”を封印した意図とは? 2部作前編の役割を解説
お台場で物騒な事件が起きて、所轄と本庁の意地がぶつかり合い、モッズコートを着た刑事が走り、しびれるような決め台詞を発する。それらが『踊る大捜査線』という作品のトレードマークだとするならば、12年ぶりにシリーズ再始動を果たした2部作の前編『室井慎次 敗れざる者』という作品は、それらをあえて封印した、かなり“『踊る』らしくない”作品を意図的に目指したといってもいいだろう。 【写真】日向真奈美(小泉今日子)の娘として登場した杏(福本莉子) 所轄と本庁の垣根を取り払う組織改革をおこなうという、かつて青島俊作(織田裕二)と交わした約束を果たすことができないまま、定年を前に警察官としての職を辞した室井慎次(柳葉敏郎)。故郷の秋田県へと戻り、携帯電話の電波も届かない人里離れた場所で里親をしながらふたりの子どもと生活する。そんな折、家から目と鼻の先の場所で死体が発見され、それがかつて室井が関わった事件の関係者であることが判明。さらに室井の前には、猟奇的な犯罪者・日向真奈美(小泉今日子)の娘である杏(福本莉子)という少女が現れるのである。 室井を主人公に配した作品といえば、『踊る』シリーズに最も脂が乗っていた2000年代中期に複数制作されたスピンオフ長編のひとつである『容疑者 室井慎次』がある。『踊る』において主人公に準ずる室井というキャラクターの掘り下げに特化した同作は、紛れもなくシリーズという大きな幹から枝分かれしたスピンオフ作品だったのに対し、今回の作品は同じ土壌の上に生る、また異なる新たな幹のようなもの。12年という長いブランクを経て、『踊る』という15年間つづいたクロニクルを、お台場から遠く離れた秋田の地から振り返る、いわば“望郷編”のような感触だ。 そのため劇中には、過去のアーカイブフッテージがかなり多い頻度でインサートされていく。さらに室井と腐れ縁の間柄である新城(筧利夫)や、かつて湾岸署で刑事をしていた緒方(甲本雅裕)、かつて湾岸署の玄関に立ち、室井と「捜査一課できりたんぽ鍋をつつく」約束をした森下(遠山俊也)との再会。青島がいまどうしているか語られたり、これまでの事件を思い出話として語ったり。 だからといって単なる“同窓会”に終わらせない。けれども、この前編で起こる事件は、前編のなかでは驚くほど先に進まない。つまるところ、この前編は観客の多くがこれまでのシリーズを観てきているという前提のもと、主人公である室井慎次とその記憶を共有して語らい合うような作品であり続ける。先述したように、この前編を“望郷編”と捉えれば、おそらく後編の方は“復活編”といった感じになるのではないだろうか。 いずれにせよ、この『室井慎次』2部作のストーリーの要となるのは、タカ(齋藤潤)とリク(前山くうが・前山こうが)と3人で慎ましく暮らす室井のもとに、杏が現れることで、彼らが築き上げてきた調和が少しずつ乱されていくさまであろう。前編でフォーカスが当てられるのは、高校生のタカの方。かつて母親を殺された犯罪被害者遺族である彼が、自分自身の将来について真剣に考えていく、いわゆる“カミング・オブ・エイジ”ストーリーに、室井が警察官としてではなく父親代わりとして寄り添っていく。 そのドラマに無神経に介入してくる弁護士の奈良(生駒里奈)の姿には、『容疑者 室井慎次』における小原久美子(田中麗奈)の姿が重ねられるし、そもそも犯罪被害者遺族の再起に立ち会おうとする室井の姿からは、ドラマシリーズで柏木雪乃(水野美紀)に対してできなかったことを取り返そうとしているようにも映る。タカの将来について具体的なビジョンこそ提示されないが、柏木雪乃が後々警察官になったように、タカもその道に進むことになるのではないかと、『踊る』ファンなら考えずにいられなくなるはずだ。 もうひとりの幼いリクの物語は、後編の『生き続ける者』に持ち越されることになる。彼は犯罪加害者の息子という位置付けであり、前編の序盤で室井は、訪ねてきた近隣の住民たちから「なぜ加害者の子どもを世話するのか」という旨の指摘を受ける。ドラマシリーズの第9話でも殺人事件の加害者の愛人を保護する任務が描かれたように、『踊る』シリーズが従来の刑事ドラマの“事件を解決する”ということだけに特化せずに、“事件に関わった者たち”を描くことにこだわりつづけてきたことが、この『室井慎次』2部作にも確かに引き継がれているといえよう。ちなみに脚本の君塚良一は、すでに自身の監督作である『誰も守ってくれない』でこの領域に踏み込んでいるので、参考作のひとつとしてあげておきたい。 その視点をもってすれば、ネット掲示板で希死念慮をもった人物を呼びかけ殺害し、体内に“くまのぬいぐるみ”を捩じ込むという猟奇殺人事件(劇場版第1作)で服役し、多くの信者を獲得しながら旧湾岸署の建物爆破を焚き付けた(劇場版第3作)日向真奈美の血を引く杏もまた、犯罪加害者の家族という意味ではリクと同様である。個々人としては正反対の性質を持った杏とリクという、ふたりの加害者家族の対比をどのように扱うのか、そして室井慎次が事件の捜査協力へと本格的に乗りだした果てに、どのような答えに漕ぎ着くのか。それらが明示された後編を観るまでは、この前編の成否は保留にしておくべきであろう。
久保田和馬