[懐かし名車旧車] スバル360/1000/レオーネ:いいモノと売れるモノの違いに苦しんだスバルの軌跡
そして誕生したレオーネという存在
当時のスバル(当時は富士重工)の社長は、銀行から送り込まれていました。その銀行はニッサンのメインバンクでもあります。おかげでスバルの工場では、売れない1000の代わりに、大ヒット中のサニーを受託生産することで食いつなぎ、同時にサニーの人気の秘密を学んだのです。 そうして捲土重来を期して1971年に発売されたのが、レオーネです。 このクルマにはスバル1000の反省を活かした、マーケットインの発想が取り入れられていました。ボディデザインは見るからにスポーティで、とくにクーペは流麗。その代わりに室内は必要以上に広さを狙わず、最初からセンターコンソールを装備するなど、当時の庶民が求めたかっこよさを表現していました。 4ドアセダンに至るまでサッシュレスのドアとしていたのも、スバルの高い技術力を生かしつつ、客の目を引く個性を創出する工夫。その一方で、ブレーキは普通のホイール位置に戻り、アフターサービス性にも目が配られていました。 専門家や”スバリスト”の中には、それらを「堕落」と糾弾する人もいました。けれど、レオーネは目論見通り1000より確実に売れ、販路も海外まで拡大。ステーションワゴンや4WDなどの、今日のスバルの個性と武器となっている技術や装備を育んでいったのです。レオーネの3世代に渡る蓄積があってこそ、平成のスバルの名車となる、1989年のレガシィの誕生につながったのでした。 今日の日本車は、技術的には今なお世界の最先端にあります。しかしそれ以上に、市場が求める要素を的確に読み取り、分かりやすく実現させる商品企画の精度の高さこそが武器になっています。 プロダクトアウトかマーケットインかは相反する思想ではなく、日本経済の父・渋沢栄一言うところの「論語とそろばん」にも通じる、商品開発者の勘所というわけです。
────────── ●文:横田 晃(月刊自家用車編集部) ※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
月刊自家用車編集部