[懐かし名車旧車] スバル360/1000/レオーネ:いいモノと売れるモノの違いに苦しんだスバルの軌跡
“先進的”で“画期的”すぎたスバル1000
続いて百瀬氏が1966年に送り出したスバル1000も、同様に彼の高度な技術と理想主義が遺憾なく発揮された先進的なクルマでした。 高度経済成長の最中、庶民の購買力は日増しに高まり、マイカーとしての憧れの対象は、スバル360で確立された軽自動車よりひとクラス上の小型車へと移っていました。 そこで百瀬氏は、今度も全力投球でスバル1000を開発したのですが、専門家の高い評価とは裏腹に、商業的には失敗してしまうのです。 小型車ながら広い室内を実現するためには、プロペラシャフトのトンネルがあるFR方式は不合理と、当時は技術的なハードルが高かったFF方式に挑戦。部品メーカーと共同開発した世界初の伸縮可能なジョイントで、スムーズな走りとフラットなフロアを実現させます。 優れた操縦安定性を目指し、低重心の水平対向エンジンや、重いブレーキを車体中央近くに置くインボードブレーキなどの先進的なメカニズムを採用。全高の低いエンジンを活かして、スペアタイヤをボンネット内に置いて広いトランクルームを実現するなど、まさに画期的なクルマに仕上げました。 しかし、当時の庶民には、それらの先進性は理解されませんでした。
“神話”とするか、”負け”ととるか
スバル1000の直前に発売された日産サニーは、「サラリーマンに買えるクルマ」をコンセプトにコストダウンに努め、オーソドックスな構成で手ごろな価格と快適な走りを両立していました。 さらにスバル1000の後に登場したトヨタカローラは、サニーやスバル1000より100cc大きな排気量で「プラス100ccの余裕」を謳い、サニーよりメッキなどを増やして豪華さを演出。コスト面では有利だけれど当時はトラック的と見なされていたフロアシフトを採用しつつ、「スポーティーなメカニズム」と巧みに売り込みました。 そう、サニーとカローラは、それぞれユーザーが求める要素を調べ抜き、求められている価値を提供するマーケットインの姿勢で開発されていたのです。 それらと比べると、エンジニアの理想を追求するプロダクト アウト型の思想で、高度な技術を惜しげなく盛り込んだスバル1000の価格は高く、せっかく苦労して実現したフラットな床は庶民から「殺風景」と言われ、のちにはわざわざコンソールを追加することになります。 挙句の果ては、せっかくのインボードブレーキも車体床下の奥にあって整備しにくいと、サービスの現場からまで敬遠されてしまうのです。 スバル1000は専門家からは高く評価され、海外にもそのメカニズムを模倣したクルマを生みました。今でも”スバリスト”と呼ばれる熱心なファンは、百瀬晋六氏の名とともに神話的に語ります。たしかに、スバル1000は日本の自動車史に残る名車でした。けれど、ビジネスである以上、いかに専門家やマニアから支持されても、売れなくては負けでした。