稀勢の里は、なぜ30歳で19年ぶりの日本人横綱になれたのか?
過去5度もあった綱取りのチャンスをことごとく失ってきた。大事な一番でとりこぼしをするメンタルの弱さを指摘する声も多かった。鳴戸部屋時代は出稽古が禁止されていたが、昨年からは出稽古にも積極的に出るようにして(まだ足りないとの意見もあるが)メンタルの強化にも乗り出していた。 稀勢の里を取り巻くライバルの力関係に変化が見え始めたことも追い風になった。そのひとつは、37回の優勝を誇る横綱・白鵬の不振だ。体調不良なども重なり、これで4場所続けて優勝から遠ざかっていて、今場所は4敗。2人の心技体を折れ線グラフにすれば、大きな成長もしていないが衰えもせず、ずっと変わらない稀勢の里が平行線を守っているのに対して、白鵬は緩やかに右肩下がりの線を描き、その交錯するところに、必然、チャンスが生まれたのである。 そして今場所は、さらなる追い風が吹いた。苦手の日馬富士、鶴竜の両横綱が途中休場、大関の豪栄道も途中休場で星を落とす危険のあった強敵との勝負が運よく流れた。勝負の世界では運も実力と言うが、これまではそういう運も味方につけることができていなかった。 ぶれずに、愚直に、あきらめず、良いも悪いも含めて、ずっと何も変わらぬスタイルを貫き、ついに運をも味方に引き込んだのである。信長、秀吉からの天下が転げ落ちてくるのを、智・力・財を暖め、戦力を整えながら、じっと待った徳川家康のようである。30歳9か月で横綱に昇進し「おしん横綱」と呼ばれた師匠の出世道にも、どこか重なる。弱点も含めて、変わらぬことがときには強さに変わる。 第72代・横綱は25日の春場所番付編成会議と、理事会で正式に誕生することになる。