テレビ人生60年 柔らかな「反骨心」 関口宏という生き方/1 『サンデーモーニング』とはどんな場なのか
「ひとことでいえば、わたしのテレビ屋人生の半分だった、ということでしょうか。今年で芸能生活60年、そのうち半分以上は『サンデーモーニング』の司会をしていたことになりますからね」 あらためて記すまでもなく、関口さんは〝松竹三羽烏(がらす)〟の1人にも数えられた俳優・佐野周二の長男として1943年7月に東京で生まれた。だから大学在学中の63年にテレビドラマで俳優デビューする一方、70年代になるとフジテレビ『スター千一夜』の司会を、80年代にはTBS『輝く!日本レコード大賞』の司会などを務め、これらと前後して『クイズ100人に聞きました』(TBS系、79~92年)、『わくわく動物ランド』(同、83~92年)、『知ってるつもり?!』(日本テレビ系、89~2002年)といった数多(あまた)の人気番組の司会も務めてきた。いや、いずれも関口さんが制作にも深くコミットした〝関口プロデュース〟の番組だったと記した方が正確だろう。 つまり多くの同世代人にとっては幼少期からテレビ画面を通じて接してきた〝ザ・芸能人〟であり、相当にジャーナリスティックなニュース・報道系の『サンデーモーニング』は、その60年の芸能生活を振り返れば、明らかに異質の番組に属する。ただ、決して気負ってスタートさせたわけではなく、36年も続くとは想定していなかったと関口さんは言う。 「こんなに長く続くとは、当時のスタッフはもちろん、私だって思っていませんでした。そもそもを振り返れば、『日曜午前の枠が空いているから、何かやりたいことはないか』と、旧知のプロデューサーが声をかけてくれたのがすべての始まりでしたから」 ◇キャスターショーをやってみたかった いまとなっては意外な感もあるが、80年代のテレビ界で、日曜の朝は「不毛の時間帯」と認識されていた。同じころ片田舎で中高校時代を過ごした私の記憶に照らしても、それは頷(うなず)かされるところが多い。週休2日制すら十分でなかった時代、貴重な休日に大人は朝寝を決めこみ、手持ち無沙汰の子どもがテレビをつけて眺めたのはアニメの再放送といった番組ばかり。