【視点】鎮魂の場 政治と切り離せ
鎮魂の場と政治は切り離すべきだ。長崎市は「原爆の日」の9日に開く平和祈念式典にイスラエルを招待しない方針を示し、日本を除く先進7カ国(G7)と欧州連合(EU)が同市に懸念を表明。6カ国の駐日大使が式典欠席を発表する事態になっている。 長崎市の鈴木史朗市長は、イスラエルを招待しない理由について「政治的な理由ではなく、あくまで平穏かつ厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したいという思い」と説明した。 だが、同様に「原爆の日」に平和祈念式典を開いた広島市はイスラエルを招待しており、特に問題は起きなかったのだから、鈴木市長の説明は説得力がない。イスラエルがイスラム組織ハマスとパレスチナ自治区ガザで戦闘状態に入っていることを批判する政治的な意図で招待しなかったと受け取られても仕方がない。 長崎市はウクライナに侵攻したロシアや、ロシアに協力するベラルーシも招待しなかった。G7は長崎市に宛てた書簡で、イスラエルをロシアと同列視することに懸念を示した。 平和祈念式典は原爆犠牲者を悼み、恒久平和の願いを世界に発信するセレモニーだ。紛争当事国をあえて招待しないという考えにも一理ある。 だが鈴木市長の決断は、招待者を政治的意図で選別したと捉えられかねない行為となり、長崎市は国際的な非難を浴びる結果になった。式典そのものとは無関係な場所でこうしたトラブルが起きるのは、式典の意義を大きく損なってしまう。 鎮魂の儀式に政治が絡む状況を危惧するのは、同様の事態が毎年、沖縄でも起きているからだ。 「慰霊の日」の6月23日には沖縄県が沖縄戦全戦没者追悼式を開催している。県民が心を一つに平和を希求するための式典であるべきだが、知事が読み上げる「平和宣言」には、毎年のように「オール沖縄」県政の政治的主張である米軍普天間飛行場の辺野古移設反対が盛り込まれている。 玉城デニー知事の今年の平和宣言では、政府が南西諸島で進める自衛隊増強を批判する文言も加わった。 だが、こうした行為は式典の政治色を強め、県民の心を一つにするのではなく、むしろ分断する方向に働く。広島や長崎で、式典の「沖縄化」が進むようなことがあれば残念だ。 長崎、広島の平和祈念式典にはイスラエルやロシアのように招待されなかった国もあり、招待されながら欠席を発表している国もある。 原爆の悲惨さを広く世界に知らしめるという式典の趣旨からすれば、本来ならロシアなども含めてあらゆる国を招待し、各国の目前で、核廃絶を熱く訴えることが効果的ではないか。 招待する国を選別する行為そのものが世界平和という意図にはそぐわず、招待された国が参列するかどうかは、その国が判断すればよいということである。