「いきなり全国優勝」44歳玉田圭司はなぜ“高校サッカーの監督”になったのか? “引退後の喪失感”を満たした強豪・昌平高の緊張感
なぜ高校サッカーの監督になったのか
卒業後は柏レイソルに入団。プロのキャリアをスタートさせても、玉田の自由な発想や、じつに楽しそうにサッカーをするスタイルは一切変わらなかった。 その後の活躍は周知の通り。でも、なぜ玉田が高校サッカーの指導現場に立つようになったのか。 「巡り合わせですね。(2021年限りで)引退する4、5年前から指導者というか、教えることに対してすごく前向きに捉えていたんです。試合に出ながら若手選手にアドバイスをしたり、提案をしたりすることで、練習や試合中の後輩たちに変化があったんです。そう感じた時に、『指導者っていいな』と思うようにはなりました。ただ、引退したらすぐに指導者になろうとは思っていなくて」 引退後は、現役最後の所属先だったV・ファーレン長崎のアンバサダーを務める傍ら、サッカースクールなどに注力。そんな時に、熱心に声をかけたのが昌平高サッカー部を作り上げた藤島崇之前監督だった。 他ならぬ、藤島は玉田と習志野高時代のチームメイトだった。村松明人ヘッドコーチ、関隆倫コーチ、菅野拓真コーチ、宮島慶太郎ヘッドオブスカウトら同級生と共に昌平の強化を続けてきただけに、藤島にとっては、第一線で活躍してきた旧友は魅力的に映っていたのだろう。 「以前から冗談交じりで『昌平のコーチに入ってよ』と言われていました。僕が引退してから話す機会がもっと増えていくうちに、徐々に『真剣に言ってくれているんだな』と感じるようになった。僕もその気になってきて、昌平の試合をより見るようになっていったら自分のサッカー観とリンクする部分があったし、自分の中でサッカーのイメージが湧いてくるようになったんです。僕が学ぶ部分もあるし、教えられる部分もある。この話は両方にとってプラスになるんじゃないかと思うようになった」 情熱は灯った。だが、家庭の事情もあって昨シーズンは限定的な指導にとどまり、スペシャルコーチという立場で関わった。 「選手たちに伝えたのは、相手の意表を突くことがサッカーだということ。相手に『え!? 』とか『ここでそれをやるの? 』という顔をさせること、それを見ることがすごく楽しいんだよ、と。僕の中でサッカーというものは楽しむものであり、楽しませるものでもあると思っていて。楽しませるためには自分が楽しまないといけないし、好き勝手やるのではなく、チームとしての規律、戦術、あり方などがしっかりとあって、それを理解した上で選手達が個性を発揮するチームでないといけない。藤島たちが育てあげた昌平には、それができる選手たちが揃っていた。本当に素晴らしい環境だと感じました」 真剣にサッカーボールを蹴る音、勝利に向かって進もうとする緊張感の中に身を置くことがどれだけ幸せなことであることかを実感した。 「引退した選手が『解放された気分』と話すことは聞いていました。でも、僕の場合は刺激が足りなかった。何か喪失感、満たされない気持ちがあった。ずっと小さい頃からサッカーをやっていて、サッカーのない人生なんて考えられなかったので、身近にあるというか、なければいけないのがサッカーボールであり、サッカーコートであり、サッカーを形成する全て。グラウンドの匂いとかが体に染み付いているので、そこはもう一生手離したくないという思いがあります。引退してサッカーの現場から離れることは僕にとっては性に合わないことだったんです」 昌平のサッカーの魅力、何より指導者の魅力に気づき始めた頃、思ったよりも早く「監督」としての正式オファーが届いた。 (後編につづく)
(「“ユース教授”のサッカージャーナル」安藤隆人 = 文)
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