希望の大陸・アフリカ 「今が投資の絶好のチャンス」と信じていいのか?
アフリカが抱える多様性
上の問いへの答えがイエスであり、ノーであるのには、ほかにも理由がある。アフリカはもともと多様で、この大陸に54(あるいは55)ある国の状況はさまざまである。政治や経済の発展への期待が持てそうな国もあれば、未だに混乱と停滞に沈む国もある。経済的には成長しつつ政治の面で強権化が進む国もあれば、民主化が定着しつつある国もあるし、さらに国の中にも大きな多様性がある。とりわけ、消費文化の花が咲き乱れ、瀟洒なビルが立ち並ぶようになった都会と、人口の半分以上の人びとが住む農村との間には、対照的な違いがある。それだけではなく、同じ都会の中にも、先進国の平均水準をはるかに超えるような富裕層の大邸宅と、貧しさに加えて犯罪や不衛生が蔓延するスラムとが併存しているのである。 もしアフリカを理解するのであれば、多面的にアフリカを見、その明るさと暗さの両方に目を向けなければならない。何より大切なことは、わたしたちの手前勝手な思いで、一方的にアフリカの将来性に期待したり、悲惨な状況に同情したりしないようにすることだろう。農村やスラムの暮らしに貧しさゆえの悲しみ、悩みがあることは事実だが、他方で、困難を生き抜き、人生を切り開こうとする人々の営みもある。それらのことをまずありのままに受け止めなければ、アフリカを理解したことにはならないだろう。 この連載コラムでは、北アフリカに比べて、まだまだ知られていないサハラ以南のアフリカに焦点を当て(「アフリカでは、エジプトやアルジェリアまでなら行ったことがある」という企業人にはよくお目にかかる)、わたしなりの研究者としての考えや、実際の体験、見聞をつづることで、アフリカの経済と政治の過去、現在をよりよく理解し、未来を展望するための材料を提供することにしたい。
輝いて見えたケニア かつてアフリカに見た希望
そもそも、サハラ以南のアフリカの将来性に期待が寄せられたのは、21世紀のいまが初めてではない。アフリカには、希望の時代と絶望の時代が繰り返し訪れてきたのである。 わたしがアフリカに初めて行ったのはおよそ37年前の1980年1月である。旅先はケニアだった。エジプト、ケニア、中継地のインドとめぐったが、3つの国の中で、ケニアがいちばん輝いて見えた。 エジプトでは、予約したはずの寝台車の客室に別の乗客が座っていてトラブルになったり、飛行機がサダト大統領の家族の突然の移動のせいで数時間遅れたり、御者台の「助手席」に乗っていた馬車が乗用車に後ろから衝突したため転落して左腕を痛めたうえ、御者からチップを要求されたりと、さんざんな目に合った。この文明の古さを誇る国には、顧客へのサービス精神というものがおよそ感じられなかった。 それに対してケニアでの滞在は、気候も心地よく、すべてが予定通りに進んだ。もちろん初めて訪れたサバンナで、数々の野生動物を見たこともうれしかったが、何よりケニアの社会が、わたしの心を強く惹きつけた。痛みのひかない左腕を診てもらうため訪れた病院は清潔で、すぐにレントゲンをとることができた。インド系らしい医師がその写真を見て「骨折していないし、大丈夫」と言ってくれ、彼が勧める通り、左腕に負担をかけないようにして温めているうちに、腕の痛みは消えていった。清潔だったのは病院ばかりではなく、首都ナイロビのビル群や宿泊先のホテルもきれいで快適だった。人びとは皆親切で人懐っこく、笑顔は底抜けに明るかった(ように見えた)。その時のわたしの目に、ケニアは、いきいきと将来に向けて歩んでいく国、まるで「坂の上の雲」を目指して近代化を進める、司馬遼太郎が描いた明治の日本のような国として映ったのである。 ケニアの次に立ち寄ったインドのムンバイ(当時はボンベイ)で町中に物乞いや路上生活者があふれていたことは、ケニアに対する好印象をさらに強めることになった。このケニアのイメージはわたしの中でいつしかサハラ以南のアフリカ(以下、単にアフリカという)全体のイメージとなり、わたしは、この地域に将来への大きな希望を見るようになった。 アフリカ諸国の多くが独立した1960年代から70年代にかけて開発関係者の多くが、インドやエジプトとは異なり、古い制度や慣習の制約に縛られていないために、より速く社会経済的に発展するだろうと見ていた。少なくともケニアは80年当時「アフリカの優等生」と呼ばれていたので、わたしの期待が、観光に訪れた大学生ひとりの浅はかなものだったわけではない。 だが、そうした期待はその後、大きく裏切られていくことになる。1980年代以降、アフリカ全域が、そして「優等生」ケニアも、成長するどころか、深い政治経済的困難に苦しむようになったのである。わたし自身もエジプトで遭遇したようなトラブルを、アフリカ諸国で何回も、しかももっとつらいかたちで経験することになった。80年代から21世紀の初めにかけて、研究者や実務者の心に、アフリカの開発は不可能に近いという悲観主義(アフロ・ペシミズム)が次第に根を広げていった。 おそらく、ケニアとアフリカの将来が明るいと言うには、1980年当時のわたしは(そしてその他の楽観論者も)、余りにも見るべきものを見ず、知るべきものを知らなかった。このコラムを書き始めたのも、一つには、これからアフリカに関わろうとする皆さん、特に若い人びとにわたしと同じ誤りを犯してほしくないからである。 次回以降は、アフリカがどこから来てどこへ行こうとしているのかを少しでもまともに理解するために見るべきもの、知るべきものとは何か、そのことについて述べていくことにしよう。 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 兼 神戸大学大学院国際協力研究科 教授 高橋基樹)専門は、アフリカ地域研究、開発経済学。主な著書に『開発と国家―アフリカ政治経済論序説―』(勁草書房)、『現代アフリカ経済論』(共編著、ミネルヴァ書房)など