「こんなに毛を嫌うのって、世界でも日本だけ」資本主義とルッキズムの街、東京の象徴“美容脱毛サロン”で働く21歳の女性を描いた『ナミビアの砂漠』はどのように生まれたのか
東京の情報量に混乱していた
──カナは美容脱毛サロンのスタッフとして働いています。現代の女性を取り巻く抑圧を描くのにぴったりの職業だ、と思いました。 男性の経済力に依存しているニートとして描くこともできたんですけど、そこはしっかり働いてもらおう、と思いました(笑)。普通の子として描きたかったですし。 脱毛サロンって、資本主義とルッキズムがかたく結びついた、東京の象徴だなあと。 こんなに毛を忌み嫌うのって、世界でも日本くらいだし、東京が一番じゃないですか? そして若者ほど、その強迫感に取り込まれやすい。 私も大学一年のとき、友達に誘われて行ったんです。 「今日契約したらこのお得な金額ですが、一度持ち帰られると通常のお値段になります」というセールスを受けて、その場で契約してしまいました。 それが明らかにおかしいということを18歳で上京したての我々は気づけず、今日ならお得なんだと思い込んでしまった。カナの場合は、サービスの提供者としてその構造に取り込まれているわけですね。 ──監督は長野で育ち、大学から東京に来たけれど、すぐに行かなくなったそうですね。当時は、東京の中でどうすごしていたんですか? それこそカナほどではなくとも、アップダウンが激しい時期でした。夜中に急に10キロ歩いたり。今思うと、東京の情報量にわけ分かんなくなっていたんでしょうね。 ──撮りたい映画の方向が定まるにつれて、「わけ分かんない」状態を脱せた? いや、撮りたい映画ってないんですよね。今回も無理やり出していますし、次は浮かんでないですし。 気分も変わりやすいので、1年前の自分がやりたいと思っていたことに今は全く関心が持てなかったりします。 だから映画と、自分の人生のことは、今は分けて考えるようにしています。分けるようになってから、ちょっとよくなったかな。 自分の人生で起きたことすべて映画の糧になると思っていた時期が苦しかった。 ──「電車で聞こえてきた会話のメモをとっている」と過去のインタビューで読みました。 そう、それもやめました。自分の生活と映画がごっちゃになる理由はそこだと思った。移動するときまでそんなことをしていたら、頭がフィクションに支配されてしまう……と思って。今はメモはせず、脚本を書くときに思い出すようにしています。 ──分けられるようになったきっかけはありますか? コロナ禍に突入したときに縁あって、京都に引っ越して、2年ほど住んでいたんです。そのときにだいぶ分けられるようになりましたね。 ──東京では分けきれなかった? そうですね。コロナで映画も作れない状況でしたし、なにもしなくていいやーって環境にいれたことが大きかったです。東京にいたらそれでもなにかをやらないといけないって思ったかもしれない。 ──『あみこ』と『ナミビア』、通底するものを感じながら観たので、その7年の間に監督の身にそこまでの変化があったというのはとてもおもしろいです。 他の自分の短編に比べると同じパッションを感じると自分でも思うし、いわれるんですけど、マインドはもう全然違いますね。『あみこ』のときに固執していたものは手放せた、という感じです。 ──総じて東京のことを「砂漠」と感じることはありますか? よくいう、「なんでもあるけどなんもない」は理解できますね。砂漠の方が豊かだと思います。東京は自分の欲望が見えにくくなる場所。