「やっとマイナスからゼロに」西日本豪雨でミカンの木を失って…8代続く農家、再生への道のり
静岡県で働いていた長男の圭吾さん。ミカン農家を継ぐため苗木の植え付けを前に実家に戻って来ました。 圭吾さん: 「この崩れた山で、ミカン収穫しているところを見て育ってきたもので。実際災害が起こってここが崩れたのを見た時に、自分も一緒に支えていかなきゃなと思って、帰ろうかなと思ったんですよね」
今年10月、猛暑とカメムシの被害に見舞われながらも着々と実を太らせる中島さんのミカン。
その一方で… 中島さん: 「骨折か所のCTなどを撮って診察を受けるため、市立病院へ向かっています。(去年)農道のすぐ上のところで摘果をしていたら足を滑らせて道路へ転落した。息子が帰って来てくれとって、本当に助かりました」 左足の痛みと戦う日々…ミカン山での農作業が満足にできない状態が続いていました。
医師: 「調子はどうですか?」 中島さん: 「調子は、そこまで変わりはないです」 医師: 「もうちょっと時間はかかると思うんですけど。前の写真と比べてみると骨はできているので。今はあまり力仕事はしていない感じ?」 中島さん: 「そうです。急なところは行っていません」 医師: 「こけないようにだけ注意してください」
“経験を次の世代に語り継ぐ”ことを使命として
あの日から6年あまりが過ぎ、中島さんは64歳となりました。 “経験を次の世代に語り継ぐ”ということを、中島さんは自らの“務め”だと感じています。 中島さん: 「横からこうやって崩れて。それで逆にここに一回土砂ダムができてまた流れていっちゃう。住民も宇和島市も、その当時災害と言えば、地震のあとの津波というイメージがものすごく強かった。だからまさか背中からやってくると思ってないので、みんな海の方ばかり見ていた」
記者: 「地下足袋はいてますね」 中島さん: 「4、5日前からようやく。これだけ大きくなってくれて、どうにか初なりのミカンがとれるんで、ちょっと一安心。こうやってミカンの苗木が育って、本当にミカンがなったところの姿を見るというのは本当感無量。本当に嬉しさですよね。これだけの補助事業で、国・県・市、本当にみなさんのお力添えがあって初めて、成り立った園地だと思います。 個人の力というものは本当に微々たるものです」 中島さん: 「初試食。うん。11月にしたら上等やと思います」