『虎に翼』のクオリティを担保した“画面演出” 随所に見られた映像的な工夫を振り返る
第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」第115話/演出:梛川善郎
この週では原爆裁判の判決が描かれる。判決を読みあげるクライマックスは脚本からだいぶ変更されている。 映像では、裁判官三人の真ん中に陣取った汐見が判決文を読み上げ、寅子は動かずに正面を見据えているという形で描かれているが、脚本では、このシーンは判決文を読み上げる法廷の現在と、フラッシュバックで判決文を悩み抜いて書く寅子の姿とともに、寅子の声でも判決文が一部読まれる形になっている。 映像では、寅子は一言も発しない。そんな寅子をカメラはさまざまな角度から捉えるが、どの寅子も凛として覚悟の決まったような表情が印象的だ。そんな寅子がまっすぐに前を見つめる様を真正面から捉えたショットが2つある。 1つ目は、「戦争を廃止、もしくは最小限に制限し、それによる惨禍を最小限に留めることは、人類共通の希望である」という判決文の読み上げに重ねられる。 2つ目は「訴訟費用は原告等の負担とする」と汐見の台詞の後に、傍聴席にいる記者の竹中(高橋努)を映したショットの後に出てくる。「閉廷します」の言葉でようやく寅子は目線を下にやるのだが、その閉廷の一言があるまで彼女はまっすぐに正面を見つめている。この2つのショットはいわゆるカメラ目線なのだが、ドラマや映画の演出において、これは不自然なショットとされていて、強い意図がない限り使わないのが原則だ。 実はこのシーンの脚本には、汐見の「訴訟費用は原告等の負担とする」の台詞の後、寅子の無言のセリフ「(そんな一同を見つめる)……」が書かれている。脚本上では、寅子が見つめる「一同」とは、轟やよね(土居志央梨)たち弁護団なのだが、映像では上述したカメラ目線ショットによって別の意味が生じているように思う。 こういう真正面ショットは、小津安二郎監督が多用したことで有名だが、この構図は、演者は別の演者と向き合っているのではなく、視聴者と向き合っているかのような構図になる。寅子が見つめるのは轟やよねたちではなく、カメラの向こう側にいる視聴者になっている。演出陣はこの脚本に書かれた「一同」を拡大し、「視聴者一同」を見つめさせたわけだ。 この原爆裁判の判決文をしっかりと視聴者に受け止めてほしい。そのために主人公を視聴者に相対するようなショットを挿入したのではないか。主人公の寅子にセリフで語らせない代わりに、目で視聴者に訴えかけるような演出にしたことで、力強く判決文の内容が響くようになった。 ここで挙げたのはほんの一例に過ぎないが、いずれの演出も脚本の展開を良く汲み取った上で、人物描写と物語を深める効果を発揮している。NHK演出陣の脚本理解力と演出力の高さが存分に発揮された作品と言えるだろう。 ■参照 『NHK連続テレビ小説「虎に翼」シナリオ集』(NHK出版)
杉本穂高