「電気の恩恵だけ受けている人、地元のつらさ感じて」女川原発が再稼働、半世紀にわたり反対続ける父娘の思い【報道特集】
町は次第に賛成派と反対派に二分されていった。 当時をよく知る人がいる。町の職員から町議となり9期務めた木村公雄さん(88)。 元女川町議 木村公雄さん 「例えて言ったら内戦。武器のない闘いだった」 木村さんは長年、原発の必要性を主張し続けてきた。水産業のほかに目立った産業がなかった女川町。半島に位置し、離島も多い町は、インフラ整備にも多額の費用がかかっていた。 元女川町議 木村公雄さん 「地方自治の本旨は、やはり財政がひとつの判断基準。仮に誘致ができなかったとしたならば、女川の町というものもないだろう。空気がいいだけ、自然が豊かなだけ。ただ住んでいるだけの小さな町になっていたのではないか」 今、町の自主財源である町税収入のうち、約85%を占めるのが固定資産税だ。その8割以上を負担しているのが東北電力。財源の多くは原発頼みとなっている。 また「電源三法交付金」と呼ばれる国からの交付金が、これまで40年余りで300億円近く交付されている。昨年度も7億円が町にもたらされた。 女川町の須田善明町長は、原発がもたらしたのは税収だけではないと話す。 女川町 須田善明町長 「もともと女川は渇水でたびたび悩まされる地域だった」 原発では核燃料を冷やすため、大量の水を必要とする。町は、東北電力が37キロ先の川から引いている水道設備を共同所有し、町民の生活用水として活用している。 女川町 須田善明町長 「渇水期に水がなくなるということがなくなった」 町に様々な恩恵をもたらすと期待された原発は、約10年にわたる論争の末、建設が決まった。 阿部美紀子さん 「これからどういう闘いをして、原発を止めていけばいいのかなという思い」 美紀子さんら反対派の運動も次第に縮小していき、女川は原発の町として歩み始めていた。 ■東日本大震災 その時 原発は そんな中、宗悦さんの危惧は、福島で現実のものとなる。東日本大震災の津波により、東京電力・福島第一原発で重大事故が発生した。