「失恋だけが原因ではない」中森明菜、絶頂期の不穏と完全復活までのカウントダウン
今年にかける中森明菜 真の復活まで─
度重なるスキャンダルとトラブルで孤立無援となっていた明菜を救ったのは、明菜の育ての親といわれる寺林晁氏であった。ワーナー・パイオニアを離れて以来、明菜とは疎遠になっていたが、ユニバーサル ミュージックの執行役員になっていた寺林氏は、 「明菜を潰すわけにはいかない。アイツにはそれだけの才能がある」 そう公言。歌姫復活のために、寺林氏は“失われた10年”のトラブルの原因をすべて断ち切って事務所も含め新たな体制をつくり上げた。 メジャー復帰第1弾として寺林氏が考えたのが2002年に発売されたカバーアルバム『―ZERO album―歌姫2』である。 デビュー20周年。頭を丸めたジャケットは生まれ変わった明菜を表しているようでインパクトがあり、アルバムチャートでは7年ぶりにベストテン入り。14年ぶりに『NHK紅白歌合戦』にも出場。風前の灯といわれた明菜は奇跡の復活を遂げたかに見えた。しかし、 「2010年に免疫力低下による体調不良から音楽活動の無期限休止。'14年に復帰してその年の『紅白』で元気な姿を見せるも、'17年のディナーショーを最後にファンの前で歌うことはありませんでした」(石川氏) さらなる悲劇が明菜を襲う。2022年、明菜の窮地をたびたび救ってきた寺林氏が急死してしまう。 「2022年はデビュー40周年を記念したベストアルバムの発売が、年末に決まっていました。『紅白』へのサプライズ出演も水面下で動いていました。その矢先の寺林さんの急死。それだけに残念でなりません」(田中氏) それから2年。前述の「COTTON CLUB」で6年半ぶりにファンの前に立った明菜には、『紅白歌合戦』への復帰もささやかれている。 「歌手に完全復帰するためには『紅白』に出たいという思いもあるだろう。でも『紅白』となれば基本、生出演。『紅白』で輝きを取り戻せば、来年はメディアでも活躍できるだろう。でも、もし失敗したら誰が責任を取るのか。そんな不安もNHKサイドにはあるかもしれない」(石川氏) 「明菜ファンは還暦を迎えてもサプライズを期待しているはず。ジャズバージョンはまだ序章に過ぎません。個人的には全盛時の絢爛豪華な明菜サウンドで復活すべきだと思っています」(田中氏) 「明菜さんには、言葉を伝える力がある。ウィスパーボイスばかりと言う人もいますが、言葉とウィスパーがハマればウィスパーボイスほど強いものはない。人はしゃべれる限りは歌える。シャンソンもそう。明菜さんほどの歌手にはぜひ復活してほしい。彼女はそういう骨の髄までのプロの歌手だと思います」(加藤) いまだに大勢のファンが完全復帰を願う歌姫・中森明菜。期待は高まるばかりだ。 <取材・文/島右近> しま・うこん 放送作家、映像プロデューサー。文化・スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材執筆。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』を上梓。現在、忍者に関する書籍を執筆中。