インドのシン前首相が死去、92歳 経済改革を主導
インドのマンモハン・シン前首相が26日、死去した。92歳だった。 インドで長く首相を務めた一人で、在任期間は2004年から2014年にわたった。財務相時代を含め、インド経済の自由化改革における立役者と見なされた。 報道によると、健康状態が悪化し、首都デリーの病院に入院していた。 インド初のシーク教徒の首相だった。1984年にシーク教徒約3000人が殺害された暴動について、議会で首相として公式に謝罪した。また、初代首相ジャワハルラール・ネルー氏以来初の、任期を全うして首相に再選された首相だった。 だが2期目は汚職疑惑に悩まされた。このスキャンダルが、2014年総選挙における所属政党「国民会議派」の大敗の一因になったとみる向きは多い。 合意形成を重視した。地域の組織や支持者らは時に気難しく、主張が強く、手に負えないが、それらをまとめた。 誠実さと知性で尊敬を集めた一方、弱腰で優柔不断とも評された。首相になると改革のペースが落ち、財務相時代の勢いは失われたとの批判もある。 ■外交は現実路線 外交では、前任の首相2人が追及した現実的な政策を採用した。 パキスタンとは和平プロセスを継続。ただしこれは、パキスタンの武装勢力による攻撃などで妨げられた。 中国との国境紛争に関しては、決着を目指し、40年以上閉鎖されていたチベットへのナトゥ・ラ峠の通行を再開する協定を仲介した。 アフガニスタンに対しては、財政支援を強化。インド首相として約30年ぶりにアフガニスタンを訪問した。 インドと古くから同盟関係にあるイランとの間では、関係を終わらせるかのような動きを見せ、多くの野党議員を怒らせた。 ■英大学で博士号取り経済専門家に 1932年9月26日、水も電気もないパンジャブ州の荒涼とした村に生まれた。 パンジャブ大学で学んだ後、英ケンブリッジ大学で修士号、英オックスフォード大学で博士号を取得した。 政府の経済顧問を経て、インド中央銀行の総裁に。1991年にインドの財務相に指名され、政治家として有名になった。 財務相としては、減税、ルピーの切り下げ、国営企業の民営化、外国投資の奨励など、野心的で前例のない経済改革に取り組んだ。 経済は復活し、産業は上向き、インフレは抑制された。インドの成長率は1990年代、高水準を維持した。 2004年、国民会議派のソニア・ガンジー元総裁が首相ポストを辞退し、シン氏を指名したことで、首相に就任した。 首相を退いた後も、主要野党となった国民会議派の幹部として、その時々の問題に深く関わり続けた。 ナレンドラ・モディ首相は26日、ソーシャルメディアに「インドは最も偉大な指導者の一人の死を悼む」と書き込み、追悼の意を表明。シン氏と交流する中で、同氏の「知恵と謙虚さを常に目にしていた」とし、首相在任中は「国民の生活向上のためにさまざまな努力をした」とした。 シン氏の家族は妻と娘3人。 (英語記事 Manmohan Singh, Indian ex-PM and architect of economic reform, dies at 92)
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