「息子に託すしかない」 福島の海と原発と “負のイメージ”のまま進む時計 【東日本大震災13年の“あれから”】
2024年3月、福島第一原発で処理水の海洋放出が始まってから半年が過ぎた。先月28日からは、4回目の放出が始まり、17日間で約7800トンを海へ放出するとしている。 原発事故によって植え付けられた「福島の負のイメージ」は簡単にはぬぐえない。そればかりか、そのイメージのまま13年近くが経過している点も否めない。しかし、今の第一原発も福島も一歩ずつ前進し、「負のイメージ」とはかけ離れた場所になっている。 このイメージを多くの人にアップデートしてもらうことで、処理水の正しい理解に繋がり、漁業者が抱える不安を少しでも払しょくできると考えている。
■震災後は家で1~2回「飲んでしまう」
あの日、突然奪われた漁師という生業。2012年、集会では「爆発している福島県が一番遅いんだ!やっていることが!」と漁師らの怒号が飛んでいた。魚の代わりにガレキをとり、本格的な漁を自粛していた。 いわき市の漁師 佐藤芳紀さん(当時53歳) 「本当はね震災前なんて家で酒飲むなんてまずなかったんだけど。最近、週に1~2回こうやって飲んじまう」 シラスなど小さな魚の群れを追って親子2代で漁を続けてきました。 佐藤芳紀さん 「我々のこの小型船の漁場は、どうしてもこの(福島第一)原発の周辺なんですよ」
■東電に任せても「数値すら鵜呑みにはできない」
この頃は週に一回、福島県から依頼されたモニタリング調査で、原発から20キロ圏内の魚をとっていた。 佐藤芳紀さん 「この周辺の魚がどういうものなのかというのは本当に知りたい」 「それを東電にだけ任せておいても、我々はその数値すら鵜呑みにはできない状態ですから」 「自分の手で釣って自分で検査に出して県に調べてもらいたい」 2012年3月、佐藤芳紀さんは仲間の漁師とともに築地市場へ向かった。 しらすなどは1年の水揚げの大半を占める大切な稼ぎだったが、いわき市の漁師・今泉安雄さんが「やっぱり福島産の魚というだけで受け入れるのは難しい?」と尋ねると、「難しいですよね」と答えた卸売業者。 突きつけられたのは、厳しい現実だった。 佐藤芳紀さん 「ジレンマだね。ここはほんとに…。1年前まではこういう魚をちゃんととっていたんだから」