広島空港、なぜ市街地からメチャ遠い?「新幹線の方が速くね?」な謎立地となった経緯とは
「旧広島空港」どこがダメだった?
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって命じられた航空関連活動の禁止が1952年に解かれると、広島でも空港設置を求める声が高まりました。 そこで前述の「吉島飛行場」のふたつ西隣のデルタ南西部(西区観音新町)の県有地が立地として選ばれ、1958年に設置、1961年9月15日に開港を迎えました。これが現在の広島空港の前身となる「旧広島空港」です。 「旧空港」はJR広島駅から約8kmの好立地にあり、60席級のプロペラ機「YS-11」と100席級のジェット旅客機で運航されていた東京~広島線の平均搭乗率は、1981年時点で95%。1975年には山陽新幹線が開通していましたが、この影響をほとんど受けない活況ぶりだったといいます。 しかし、「旧空港」は、滑走路の長さや幅の不足、滑走路と駐機場をつなぐ「平行誘導路」の不在といった欠点から、増え続ける需要に対応が難しくなりつつあるという課題を抱えていたほか、運航便数の増加によって市街地への騒音対策費が膨らんでいたことなどから新空港設置の機運が高まりました。 当時は人口増加によって市街地が拡大し、飛行機の騒音も現在以上に問題視されていた時代背景もあり、右肩上がりの需要に対応していくためには、市街地に近い立地は諦めざるを得なかったといえるでしょう。 こうして、市街地から離れた山間地に現広島空港、つまり「新空港」が設置されたわけですが、「旧空港」のほうはどうなったかというと、財界からの声を受けて存続することになりました。 「旧空港」は広島県が管理する第三種空港となり、名称も「広島西飛行場」に変わり、近距離の地方路線を中心に定期便の運航が続けられました。ただ、要である東京線が新空港に移管してしまったことから需要低迷は免れず、2010年10月に定期便運航が途絶え、2012年11月に廃港となっています。 その後の「広島西飛行場」跡地は、自治体や民間企業によって開発・活用が進められています。航空機能を引き継いだ部分としては県営の「広島ヘリポート」があり、広域防災拠点としての役割も担っています。
山本佳典