波田陽区、最高月収は驚異の2800万円 ブレイク翌年仕事激減…助けてくれたのはまさかの人物
先輩からもらったタクシー代を生活費に
お笑い芸人の波田陽区が2日、MBS『明石家電視台正月SP』(午後1時30分)に出演した。現在、福岡で活動する波田は、2004年の大ブレーク時の最高月収が驚異の2800万円と明かされた。この日は一発屋芸人特集でレイザーラモンHG、スギちゃん、ダンディ坂野、ムーディ勝山、クマムシら17人が集結した。 【写真】「40歳から福岡に行って何とかこうやってやってます」と告白 現在の波田陽区の姿 波田が「僕は2004年に一発屋で出て来たんですけど、そのとき、本とかCDとかDVDとかCMでもホントに収入がすごくて」と振り返ると、同局・山崎香佳アナウンサーが「2800万円っていうのは、今回のゲストの中で(最高)月収が一番高い」と紹介。驚きの声が上がり、MC・明石家さんまも「それはすごいな」と口にした。 波田は「2004年はそれぐらい稼いだんですけど、2005年になったら何も仕事がなくなってきて。たまたま(間)寛平師匠の奥さまが、こういうタレ目が好きということで、それが縁で寛平師匠にすっごいご飯とか連れて行っていただいて」と間寛平に感謝。さんまが「ホントやねん。萩本(欽一)さんにあこがれてな、奥さんが。ああいう顔好きやねんな。お笑い、タレ目の」と言うと、寛平は「波田陽区、間寛平、萩本欽一。だから一生懸命やってたんですよ、嫁が。“3Hトリオ”言うて」と振り返った。 波田は「寛平師匠に“これタクシーで帰れ”って1万円いただいたら、電車で帰って、9700円ぐらい浮かして、それを生活費にするとか。寛平師匠のおかげで何とか生き延びてて、一番お世話になったのが、寛平師匠に僕が結婚するときに仲人になっていただいて」と深い関係性を説明した。結婚式当日について「僕が主役であいさつしたらそこそこウケたんですけど、その後、寛平師匠がギャグとかを織り交ぜてあいさつしたらめちゃくちゃウケて。“すごいな寛平師匠は”と思ったら、次に寛平師匠の奥さまが師匠の5倍ウケたんですよ」と述懐した。 さんまからは「お前(の笑い)がちっちゃかったんちゃうん?」と聞かれる中、波田は「それで心が折れて、“なんかもう仕事もないし、普通の奥さんに負けるんだからもうダメだな”と思って。そこから調子悪くなりました」と発言。「結果、(下降したのは)奥さんのせいかも知れませんね」と続けて笑わせた。 波田は「40歳から福岡に行って、何とかこうやってやってますね」と報告した。
ENCOUNT編集部