文武両道No.1受賞の後藤若葉 女子サッカー早大主将・日本代表と超多忙でも勉強ができた理由
――学業とスポーツの両立はどうやっていたんですか。 1限に授業がある時には、そのあとに学校に残ってレポートを作成したり、次の授業の予習をしたりして、時間をうまく使うようにしていました。サッカーの準備もしっかりやりたかったので、練習の2時間前にはストレッチや筋トレをやっていました。サッカーの時間をしっかり確保するために、勉強の課題を終わらせることをつねに意識していました。 ――どんなスケジュールで部活動と勉強を両立していたのですか。 大学の最後のほうはアルバイトもしていたんですが、朝にバイトがある時には、5時半に起きて6時半から2~3時間働いて、家に帰ったらオンデマンドの授業を受けて、15時くらいに家を出て、18時半からの練習に備えていました。21時には練習場の電気が消えるので、そこから帰ると家に着くのが23時くらい。それからシャワーを浴びて寝るという生活でした。私は自宅から通っていましたので、通学時間は片道1時間くらいでした。 ――勉強がおろそかになってしまう時期はなかったんですか。 練習時間が基本的に決まっていて、その前の時間を自分でうまく使えばよかったので、おろそかになるような時期はなかったですね。他の何かにはまるようなこともなくて、先にやるべきことを終わらせてからゆっくりしたいタイプだったので、勉強はやっていました。 それから、オンデマンドの授業は見ずにためてしまう人がいますが、自分は時間割表みたいなものに書き込んで、コツコツと計画どおりにやっていましたので、あとできつくなることはなかったですね。 【サッカーの言語化で成長】 ――それではスポーツのほうですが、早稲田大学ア式蹴球部での4年間を振り返って、どんな部活動生活でしたか。 早稲田大学ア式蹴球部は、学生主体でつくり上げていく組織で、最初はすごく戸惑いがありました。1年生の時に先輩の4年生から「若葉は何を考えてプレーをしているの?」とか、「自分の持っているものをもっと発信してほしい」などと言われました。 中学・高校の6年間はメニーナ(日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織)に所属していましたが、その時にはメニーナの目指すサッカーがあって、それに合わせるイメージでプレーしていましたので、サッカーを言語化するのが難しかったんです だから早稲田に入って、少しずつ言語化していくようにしました。それでうまくプレーできるようになったことが、成功体験として積み重なっていって、チームとしてもよくなっていきました。 4年生の時に主将という立場で、自分の思っていることを伝えつつも、周りの選手たちが思っていることをくみ取れるように、一方通行のコミュニケーションにならないように意識できたかなと思います。それを考えられるようになったのは、早稲田の4年間があったからかなと思います。
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