3.11から5年後の被災地を旅して 復興ラッシュといまも続く災害
被災地では「震災遺産」について議論されている。被災した建物をどうするのか。保存するのか、解体するのか。震災を思い出したくない人もいるし、遺族の心情も考えなければならず、きわめてデリケートな問題だ。多くの児童が亡くなった大川小学校や、南三陸の防災対策庁舎などを再び訪れて、私個人としてはやはり残すべきではないかと思う。 実際に被災したものを残す意義は非常に大きい。写真やデータがあっても、実物なくしては風化してしまいそうだ。いまの私たちはまだ覚えていられるが、数十年経つと太古の出来事と大差がなくなり、得らえる教訓もなくなってしまう。遺族や地域の人たちとの議論も重ね、また諸外国の例なども考慮した上で、慎重に判断されるべきだ。
2011年3月11日、それから数日の間に起きたことを、いまでもどう考えていいのか迷う。人間は自然に生かされている。自然環境の中でいかに共生していくかが大切さを震災事以来、私は強く感じている。 原発事故後の補償も中途半端なうえ、汚染した大地はいまでも広範囲に拡がっているにもかかわらず、原発の再稼働が進む現状には強い憤りを覚える。津波で被害が出たから、高い防潮堤を作ればいい、土地をかさ上げすればいい、という発想にも違和感を感じる。 満5年が過ぎたが、何より大切なのは、記憶を途切れさせない、起きたことを熟慮して、私たちの生活や生き方を見直していくべきだとあらためて思う。それに気がつき、実践する人も増えてきているが、この国の多くは、震災がなかったかのように、大規模な開発や経済優先の社会に戻りつつあるように感じ、私は危惧している。震災から何も教訓を得ていないのだとしたら、それこそが真の悲劇ではないだろうか。 (写真・文/村田信一)