3.11から5年後の被災地を旅して 復興ラッシュといまも続く災害
東日本大震災では、津波の被害も大きかった。テレビで放映された大津波が沿岸部を覆い尽くす映像を見て、誰もが驚愕しただろう。震災直後の沿岸地域を訪れたとき、その惨状に大きな衝撃を受けたことは、いまでも記憶にも深く染みついている。私は世界の戦場を度々訪れたことがあるが、津波の破壊力は人為的な戦争による破壊をはるかに超えていると実感し、あらためて自然の力の凄まじさを思い知らされた。 今回沿岸部各地を訪れて驚いたのは、その復興工事の巨大さとスピードだった。特に南三陸や陸前高田など、町全体が壊滅したところでは、がれきや被災した建物などがほとんど取り壊され、かさ上げのための土が盛られた大きな山が至るところにできていて、防潮堤の工事も急ピッチで進んでいた。 暮らしを立て直すための復興は必然であり、次の災害に備えることも大切なことだと思う。しかし、現状の巨大工事の数々を間近に見ると、どこに行っても強い違和感を感じた。
津波で流された市街地の多くは、新しく住宅地を作ることをせずに、宅地は内陸や山に方に移されることが多いという。それならばなぜ沿岸部で防潮堤をつくったり、かさ上げ工事が必要なのか。少し歴史をさかのぼれば、江戸時代のころでも、人々は沿岸部にはほとんど暮らしていなかったようだ。沿岸部に津波がくることを知っていたからで、実際に津波被災地では、過去の津波を示す石碑なども多く残されている。数十年や百年単位で数メートル以上の津波が来ているとしたら、これからも来る可能性は大きいのだろうし、だとすれば津波を阻止するのではなく、津波が来ないと想定されるところまで引き下がることが正しい防災ではないかと思う。
私たちは、自然に生かされているという意識を忘れがちだ。失われた命に報いるためにも、自然に対抗するのではなく、自然の力を受容する方向へと考え方、生き方をあらためていくことが必要なのではないか。大震災があったからこそ、大きな変革も可能なのであり、5年経って記憶が早くも薄れつつあるとしたら、この先10年、20年も経つと、誰も覚えていないということにもなりかねない。いまならまだドラスティックな変革が可能だと思う。