『新宿野戦病院』は令和に観るべき“反戦ドラマ”だった 宮藤官九郎が描き続ける生と死
『新宿野戦病院』(フジテレビ系)が9月11日に最終回をむかえた。偶然であろうが、最終回の日付にも何か因縁のようなものを感じてしまう。 【写真】第1話から明らかに変わった亨(仲野太賀) 日本で最もカオスな街、新宿・歌舞伎町を舞台に、ホストやキャバ嬢、ホームレス、トー横キッズ、外国人難民などさまざまな“ワケあり”患者を診る「聖まごころ病院」の日常を綴った本作。小ネタやギャグをふんだんに織り交ぜた、おなじみの「クドカン節」が敷かれつつ、混沌として、ガチャガチャしたドラマだった。しかし、第1回から最終回に至るまで、「どんな命も尊い」「命は平等である」という主題が掘り下げられていた。 「うちの命、お前の命、貧乏の命、金持ちの命。平等に、雑に助ける。それが医者」 第1回で、元軍医のヨウコ・ニシ・フリーマン(小池栄子)が英語まじりの岡山弁で語るこの「哲学」が1本の太い幹として、この作品の中心にある。ヨウコは、人種、属性の如何に関わらず、運ばれてきた患者は「ぜってえ診るし、ぜってえ助ける」。 チーフ演出を務める河毛俊作が宮藤官九郎とタッグを組むのは『ロケット・ボーイ』(2001年/フジテレビ系)以来、実に23年ぶりとなる。本作の制作は、河毛監督から宮藤への熱烈なオファーにより実現したのだという。『ロケット・ボーイ』では主演の織田裕二が椎間板ヘルニアで入院したために一時放送が中断、全11回の放送予定を7回に短縮せざるを得なかったという経緯がある。今回『新宿野戦病院』で河毛・宮藤の両氏はその“雪辱”を晴らしたということだろうか。本作については賛否両論ありつつも、作り手が描きたいものを最後まで描ききったということは強く伝わった。 クドカン作品といえば、畳みかける小ネタやギャグと痛快なストーリーテリングが前面に立ってはいるが、「死生観」を繰り返しテーマにしていることを外しては語れない。 余命半年を宣告された青年が主人公の『木更津キャッツアイ』(2002年/TBS系)、亡き母親が幽霊となって大家族を見守る『11人もいる!』(2011年/テレビ朝日系)、能楽師の家に生まれたプロレスラーが死して「離見の見」を実現する『俺の家の話』(2021年/TBS系)、昭和から令和にタイムスリップしたおじさんが阪神・淡路大震災で最愛の娘を喪うことを知る『不適切にもほどがある!』(2024年/TBS系)。そして、宮藤にとって初挑戦となる医療ドラマ『新宿野戦病院』でも、欲望渦巻く歌舞伎町を舞台に「生と死」を描いた。 「命の平等に対する“義侠心”」とでも言おうか。雑でガサツだけれど、その“義侠心”を突き通すヨウコの在り方が、このドラマの動力となっていた。経営不振に陥った「聖まごころ病院」のポンコツ医師たちは、ヨウコに刺激を受けて、それぞれ覚醒する。ヨウコはアメリカで医師免許を取得した元軍医であるが、そのライセンスは日本では通用しない。ヨウコが「まごころ」で行ったことは、無免許での医療行為にあたる。 しかし、保険証を持っていないホームレスや外国人などの重症患者、ビルの爆破事件に巻き込まれた多数のケガ人、他の病院が受け入れない新型ウイルス感染者などが次々に運び込まれてきて、目の前の現実に対処しなければならない。戦場で負傷兵の治療にあたり、数えきれないほどの死を目の当たりにしてきたヨウコだからこそ持ち得る、「四の五の言わずにやるしかねえ」というスピリットに説得力があった。そして世界は今、わりと「四の五の言ってられない状況」だ。