残された実り「安らかに」 能登豪雨から1カ月 米農家ら犠牲の石川県輪島市久手川地区
「天国でゆっくり休んでください」──。元日の石川県・能登半島地震で大きな被害を受けた奥能登を襲った9月の豪雨から、21日で1カ月を迎えた。米農家ら10人が死亡、1人が行方不明となった最大被災地・輪島市では、犠牲者の冥福を祈り、花を手向ける人々の姿があった。 【画像】堆積した泥が固まり、ひび割れ始めた農園 住民4人が亡くなった同市久手川地区で土石流が起きた時刻の午前10時前、近隣住民が祈りをささげた。川沿いにあった住宅は基礎だけが残り、田が広がっていた一帯は、土砂に埋もれ、巨大な流木が散乱していた。 県や市によると、4人は、地震後も兄弟で力を合わせて稲作を続けていた尊谷松夫さん(89)と前川政二さん(80)や、輪島塗職人で米農家の祖父を持つ中学3年の喜三翼音さん(14)ら。県警は家ごと流されるなどしたとみている。
兄弟で守った水田 惨事、想像できず
「無念だったろう」。地区の農家、河原孝一さん(77)が21日朝、尊谷さんと前川さんがはざかけした田に立ち、黙とうした。河原さんは地震の被害で今年の田植えを断念したが、兄弟2人は田を補修し、作付けした。稲作が盛んだった地区は10年前から高齢化で離農が増え、地震後は兄弟を含む4人に減っていた。 兄弟の親族によると、2人は若い頃から一緒に米作りをしてきた。地震で自宅が壊れ、仮設住宅で暮らしていたが、「このままでは山間地の米作りが終わる」と言っていた。豪雨の数日前に刈り取りし、はざかけしていた。豪雨の朝、軽トラックで田を見に行き、「水が来て逃げられない」との電話を最後に帰らぬ人となった。 輪島では当時、1時間最多雨量記録の2倍近い121ミリの猛烈な雨が降っていた。 地区の高台に住む小西寛さん(76)は氾濫の一部始終を目の当たりにした。「まだ大丈夫だと思っていたら、川が数分で盛り上がり、巨大な流木が家々を破壊した。こんな洪水は起きたことはなく、こんな惨事は想像できなかった」と語り、4人の冥福を祈った。 (栗田慎一)
日本農業新聞