西川貴教が語る「滋賀革命」 9.5万人フェス成功の舞台裏と持続可能な地方創生
「かけっこ とびっこ 元気っこ みんな集まれ平和堂~~」 滋賀県を中心に165店舗を展開する大手スーパー「平和堂」の店内で鳴り響く同店のイメージソング。滋賀県民なら誰もが耳にしたことがある曲を歌い上げるのは、T.M.Revolutionとして数々のヒット曲をもつ同県出身のアーティスト・西川貴教だ。 2009年からは滋賀県初の大型音楽フェス「イナズマ ロック フェス」、さらに大型フードフェスの「イナズマフードGPXL」など、故郷・滋賀県で数々の大型イベントを成功に導き、実業家としての手腕を発揮。「滋賀ふるさと観光大使」も務め、県産品のPRや地域活性化にも精力的に取り組んでいる。 「将来の滋賀県知事」としての活躍を望む声もあるほど、県民から絶大な支持を得る西川。なぜ彼はこれほどまで故郷・滋賀のために心血を注ぐのか。そして彼が感じる地方創生の課題、新しく始めた持続可能な地方創生への取り組み「KOMECON」について聞いた。 ■終わることのない「罪滅ぼし」 西川貴教を故郷・滋賀県での活動へと突き動かす原点は、かつて地元で味わった悔しさにある。少年時代、西川は地方に住んでいるという理由から、思うようにほしい情報や物を手に入れられなかった。好きなアーティストの音楽も、最新のファッションも、すべては都会に出ないと手が届かないものだった。インターネットの普及した現代では状況は改善したが、西川は故郷・滋賀の現状に課題を感じている。 「滋賀は大阪の通勤圏で、県民の勤め先は県外にあることが多い。昼夜の人口変動も大きくて、都市部に比べ法人税の収入も少ないため、県の財政にもマイナスの影響を与えています。将来を担う子供たちには、僕自身が昔感じていた地方に住むがゆえの不便を感じてほしくない。だから皆さんに滋賀県に住んでお勤めいただき、お金を落としていただく。県内で経済を循環させられる取り組みをしたいと考えました。 そうすれば子供たちも地元の滋賀に愛着と誇りをもてる。そのためにまずは皆さんに滋賀へ目を向けていただき、能動的に足を運んでいただく機会をつくりたい。その旗印として、『イナズマロック フェス』を企画しました」 「イナズマロック フェス2024」は今年で16回目を迎え、9月の開催2日間で94組が出演。延べ9万5000人を動員した。同イベントが2009年の開始以降、地元に与えた経済効果は数十億円規模に上り、西日本最大級の音楽フェスへと成長した。 しかし、道のりは決して平坦ではなかった。イベント立ち上げ当初はメディアの注目度も低く、西川が手弁当で出演してくれるアーティストに頭を下げ、交渉してまわった。開始4年目頃までは赤字続きで、西川が自身のツアーや音楽制作にあてるはずの費用まで注ぎ込み、アーティスト活動に大きな支障が出たという。 なぜ西川はそこまで滋賀県に尽くせるのか。西川は、滋賀県職員の父親や滋賀県警に勤めていた祖父など、行政関係者が多い家系で育った。「県のために尽くすというハードルがもともと低い家系なのかも」。笑って話す西川だが、その表情はどこか切ない。 「ずっと終わらない母への罪滅ぼしなのかしれません。2017年に病気で亡くなってしまったので、『もういいよ』と言ってくれる人がいなくなっちゃったんですけど」 西川は高校を中退後、大阪で組んでいたバンドでデビューが決まると上京した。しかしバンドは泣かず飛ばずで、西川は離脱。アルバイトをしながら曲を書きためては、出版社や芸能事務所にデモテープを送る日々を送った。そんな苦しい下積み時代を経て、西川は1996年にT.M.Revolutionとしてデビュー。ミリオンセラーの「WHITE BREATH」など、ヒット曲を連発した。 「今でこそ、冗談で『ゆくゆくは知事に』なんて言ってもらえるようになりましたけど、若い頃は褒められたもんじゃなかった。『音楽をやる』なんて啖呵を切って地元を飛び出したものの、何年もテレビには出られず、母には随分と心配をかけました。 県庁で働いていた父など、家族にとって自分は目の上のたんこぶだったと思うし、きっと『あそこの息子は何をやっているんだ』と周りから白い目で見られたこともあったでしょう。そんな家族と、家族が暮らす滋賀の経済に貢献して、少しでも恩返しができればという思いなのかもしれません」