一風堂や山頭火が頼る「製麺企業」の波乱なドラマ 稲盛和夫さんから教えてもらった大切なこと
その後、勉強会開催を経て2010年1月19日、「盛和塾ハワイ」が開塾し、夘木さんは初代「世話人」に就任した。奇しくも、日本航空の再建に向け、重責を引き受けようとする稲盛氏の姿を間近に見ていた。 会社の存在意義とは、働く目的とは、生きる意味とは――。 稲盛氏が体現してきた経営哲学を学び、内面を問い直し、実践を繰り返す中で夘木さんが手がけたのは、「ラーメンラボ」の運営だった。 ■調理や試食を体験してもらう講習会開く
2012年に新設したアメリカ・ニュージャージー州の工場内に設けたキッチンとカウンターが舞台。 20代で「日本一のラーメン店」に選ばれた有名店「中村屋」の店主・中村栄利さんを専任シェフに迎え、現地の料理人らを招待してラーメンの調理や試食を体験してもらう講習会を開催した。食専門のメジャーな雑誌に掲載され、注目が集まった。 関わる人、取引先、ライバルも含め、業界全体の発展と成長のため、サンヌードルに何ができるのかを考えた1つの形だった。
「ラーメンラボ」は、アメリカのラーメン認知がさらに広がるきっかけとなり、サンヌードルはイギリス、フランスなどの欧州地域へ、2017年からはカナダ、メキシコなど中南米への輸出をスタートさせた。 一方で、どれだけ業績が上向いても、つねに直面するのが、働く従業員にいかに長く、やりがいと幸福感を持って仕事を共にしてもらえるかという「難問」だという。これ以上のことはないほどに、その姿勢を試されたのが、2020年の新型コロナウイルスの感染拡大だった。
「これまで調子のいいことを言ってきて、ここでひっくり返すことにはならないか、自分に問い続けました」 危機に備え蓄えてきた内部留保が、ピンチの初期に力を発揮した。夘木さんが300人の全従業員に最初に通知したのは、「解雇はしないから安心してほしい」というメッセージだった。 ところが、解雇者を対象に州や国が支給した給付金は、給与額を上回るほど手厚いものだった。「解雇になったほうがよかったような空気さえ漂っていた」中で、夘木さんは「働いてもらうこと」「仕事を続けること」にこだわり続け、自らその必要性を繰り返し語ったという。