息子の「声」を聴きたくて、母は補聴器を買ったけれど──
けれど、母はそうではない。初めて耳にする音が珍しいらしく、とても楽しそうにしている。テレビの音が聴こえると「ちょっとうるさいね」と得意げにし、祖父母の会話を聴いては「なんの話?」と首を突っ込もうとする。この瞬間、母は赤ん坊と一緒で、この世に溢れているさまざまな音に感動を覚えていたのだろう。 ──それ、いくらしたの? 尋ねてみるとびっくりするような金額を告げられた。二十万。うちはそれほど裕福ではない。障害者枠で雇用されていた父の給料は健常者のそれよりも遥かに低く、家計に余裕なんてない。それなのに、どうして補聴器なんて購入したのか。装着したって、本当の意味で“聴こえる”ようになるわけじゃないのに。 「高いね」とだけ伝えたぼくがなにを考えているのか察したのだろう。母ははしゃぐのをやめ、真剣な面持ちでぼくを真っ直ぐ見つめた。 ──高くないよ。 ──いや、高いじゃん。二十万って、意味ある? なにを言ってるんだろう。馬鹿らしくなって話を切り上げようとすると、母がぼくの肩を抱いて続けた。 ──高くないよ。大ちゃんの声が聴こえるんだから。 なんて言ってあげたらいいのか、わからなかった。仮にぼくの声が聴こえたとして、意味までは理解できないのに。それでも母にとっては、この補聴器がぼくと彼女とをつなぐ架け橋のようなものだったのかもしれない。 ──これからは、大ちゃんがなんて言ってるか、聴き取れるようになるから。 そんなの無理だ、と思った。でも、母の笑顔を見ていると、なにも言えなくなる。ぼくはゆっくりと頷いた。それを見て、母は目を細める。 その日の夜、風呂から上がると、母が寝室で補聴器を丁寧に拭いていた。慈しむように、ゆっくりと。通りがかりに目が合うと、彼女は「おやすみ」と微笑んだ。ぼくも「おやすみ」と返す。 その手にある補聴器は、まるで宝物みたいに光っていた。