阪神淡路大震災20年 ── 神戸に寄り添ってきた歌「満月の夕」、その思いは福島へと
阪神淡路大震災から20年、神戸を思い、歌い歌われてきた曲がある。ロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とHEATWAVEの山口洋が作った「満月の夕(ゆうべ)」という歌だ。神戸の情景や被災者の姿、そこで生きる人々の未来を祈ったその歌はさまざまなアーティストによって歌われ、人々に口ずさまれ、被災した人たちを支え続けてきた。その歌は今、東日本大震災の被災地で歌われている。神戸のために歌い継がれてきた歌が、福島や東北へも勇気を届ける。17日、NHKでドキュメンタリー放送(『満月の夕』~震災から生まれた歌の20年~)。
「満月の夕」はこうして生まれた
阪神淡路大震災が起きる少し前のこと。中川と山口が「一緒に曲を作ろう」とAメロを作った。その後、「サビができたら連絡し合おう」と話していたとき、大震災が起きた。関西で活動していた中川はソウル・フラワー・ユニオンのメンバーとすぐさま神戸へ向かい、避難所や公園で慰問ライブを行った。中川はそのとき見えた満月のこと、目の当たりにした光景や被災者の姿を詞にし、一気に曲を書き上げた。 震災時、山口は東京にいた。テレビで神戸の惨状を見た。一緒に暮らしている彼女の実家がある長田を火が覆う。「教科書でしか見たことのなかったような風景、焼け野原」に言葉を無くし、途方にくれた。 そんなとき中川から電話があった。「あの曲できたから神戸で歌ってるで」。音源を送ってもらい聴いてみた。素晴らしい出来だった。「わかった、これにしよう」。一度はそう言ったが、すぐに現地に入った中川とテレビで見ていた自分は違う。「彼の歌詞は歌えない。俺は俺のバージョンを作ろう」。そう思った山口は東京から見た被災地、彼らの未来への希望を込め、別の歌詞をつけた。そうしてもう一つの「満月の夕」が生まれた。 震災後、現地に入った山口は、関西の人たちのたくましさに驚いたという。「関西には笑いがある。それがすごいなあって。 “泣き笑い”がうまい。一番しんどいときこそ笑う。救われました。僕の歌詞の中に『言葉にいったい何の意味がある』ってところがあって共感してくれる人が多いんです。でも神戸や関西で歌ったら、“それ言ったら終わりやん”って」。関西からしゃべりをとったら死んでまう……2つのバージョンがある意味だと山口は言う。