阪神淡路大震災20年 ── 神戸に寄り添ってきた歌「満月の夕」、その思いは福島へと
矢井田瞳 「私ができることは『忘れてないよ』と提示すること、命を大事に使うこと」
──ヤイコさんは大阪(豊中市)出身。阪神淡路大震災の日のことを覚えていらっしゃいますか。 強烈な印象が残ってて、昨日のことのように思い出します。高校生でちょうどテスト勉強期間中で、マンションで朝寝てたら、下からドンドンドンって恐竜が階段上がってくるみたいな突き上げるような揺れがあって、やばいと。家族全員起きてリビングにテレビをつけに行ったら、次にすごくでっかい横揺れがあって、大事に飼っていた金魚の水槽が横にサッってスライドして、下にバシャーンて落ちたのと同時に食器棚が倒れてきて、その後すぐ電気が消えて、水道も止まって……。 ああいうときって何もできないですね。かたまってしまって。とりあえず金魚を助けなきゃと思って、お風呂から洗面器持ってきて、なんとか3cmくらい水を溜めて金魚を手づかみで入れた。母に「動かないで」って怒られました。ガラスとか割れていたから。 真面目だったのかな。学校へ行かなきゃって思って、そんな状況なら休みだろうに。それで1時間以上歩いて学校に行きました。やっぱり休みだったんですけど(笑)「落ち着いて行動しましょう」という話を先生から聞いて帰りました。それからまたテスト勉強しなきゃと思って。夜になったら電気がないのでろうそくをつけて……。めっちゃ便利な生活してたんやなと、まだ10代だったんですけど、子供ながらに思い知らされたし、自分が普通って思ってたことが明日普通にあるわけじゃないんだなっていうのを初めて身を持って知りました。 ──被災された方々のことは、どう映りましたか。 神戸にも友達や親戚がいっぱいいて、亡くなった人もいました。お店がつぶれたり。そういうつらいことがあったけど、横のつながりの強さも感じました。みんなつらい思いしているはずなのに、「ないもんはないから、また一からやろうや」って。一個のパンをみんなで分けるっていう感じ。人間って強いなあって子供ながらに思いました。友達と、「生きててくれて嬉しい」みたいな言葉の確認とか、「普通のことって素晴らしいね」って話をしたり。 ──神戸や東日本に向けて、今、改めて思うことは。 私ができることは「忘れてないよ」と提示することだったり、この命をちゃんと使うってことかなと。(被災者のために)直接、何かをするということでなくても、子育てでもいいし、各自ができることをやって命を大事に使っていけば、みんながいい方向に向かういい要素になると思うので。