〈箱根駅伝・早稲田復活へ〉花田勝彦監督がつくる「強い早稲田」への道…「監督就任後、まず最初に“練習メニューを白紙”にした」理由とは
一競技者である前に、一社会人であることが大事
30代前半で選手とともに走って上武大学を率いていた頃とは、明らかに体力も違っていた。また、実業団で指導するようになってからは、ストレスで腰痛を抱え、体調を崩すことも多かった。そこで、監督に就任するまでの移行期間にジム通いを始めた。ストレス発散と体力向上を考えてのことだったが、体も絞れて腰痛も出なくなり、万全に近い状態で指導をスタートすることができた。 早稲田に戻ってきても、指導の根本にある部分は変わらない。 「一競技者である前に、一社会人、きちんとした人間であることが大事」 このポリシーは、私が学生だった時代から早稲田がチームとして大切にしていたものだ。瀬古さんと一緒に初めて母校の練習を見学したとき、私たちが瀬古さんから教わった、「礼に始まり礼に終わる」という精神が、今も受け継がれているのを感じた。 その一方で、ケガ人が多いのが気になった。おそらく全体の3分の1くらいしか練習をしていなかったのではないだろうか。3分の2はケガをして別メニューだった。練習スケジュールを見せてもらうと、かなりハードなメニューが組まれていた。前年度に10000メートル27分台のランナー3人を擁し、大学駅伝三冠を目指していたにもかかわらず、箱根駅伝でシード権を落としてしまっただけに、強い早稲田を取り戻そうと練習の強度を上げていたのだろう。 もちろん選手たちも望んで、そういう練習に取り組んでいたのだと思うが、ハードな練習にいきなり取り組んだら壊れてしまうのも当然だった。 数学にたとえるなら、足し算や引き算、掛け算、割り算ができないのに、いきなり因数分解などの難しい計算に挑むようなものだった。
脈々と受け継がれてきた伝統でも意味がなければアップデートする
私が駅伝監督に就任して最初にやったのは、練習メニューをいったん白紙に戻すことだった。 個別に話を聞きながら、各選手の状態を確認して、まずは確実にやれる基礎的なことから始めることにした。 具体的には、ポイント練習(強度の高い重要な練習)の強度を落とし、余裕をもって練習をこなせるようにした。 また、ポイント練習とポイント練習の間の「つなぎ」で行っていたウエイトトレーニングやサーキットトレーニングも中断し、その代わりにベーシックな補強とジョグをしっかりやるかたちに変えた。 朝の集団走は、箱根で優勝した頃の練習を参考にして、大学周辺のアップダウンを使ったかなりハードな内容が週に4回も組まれていた。 しかし、実際にその練習をちゃんとこなしている選手は数えるほどしかいなかった。たしかにこの練習をこなせれば、強くなるだろう。 だが、できなかったら意味がない。ケガが多い原因は、練習にばかりあるわけではない。 栄養面に関しては、自分が教えるよりも、専門家に説明をしてもらったほうがいいと思ったので、交流のあった管理栄養士に個人面談をしてもらった。 ウォーミングアップの方法も変えた。早稲田の朝練習は、全体で集合し挨拶をしたあとに体操から始まるが、私が学生だった頃からやっていた簡易な準備体操が、30年経っても変わらず行われていた。 感慨深いものはあったが、競技レベルが格段に上がった今の時代には合わないと感じた。受け継がれてきた伝統かもしれないが、意味のないものであればアップデートする必要がある。 そこで、交友のあったフィジカルトレーナーに指導してもらって、可動域の拡大や動的ストレッチを意識したプログラムに変えた。 故障を予防するうえで必要なアイシングやストレッチ、セルフマッサージなどケアの面も、意外にきちんとやっている者が少なくて驚いた。 そこで、トレーナーを招いて講義をしてもらい、また私が寮に泊まった際に学生を集めて、実際に私も混じってペアマッサージを教えたりもした。 故障の原因は、栄養バランスの崩れとケア不足によるところも大きいが、睡眠不足もかなり影響していると感じていた。 寮に泊まってみると、食堂で深夜近くまでレポートを作成していたり、高田馬場キャンパスに通うために、朝6時の集合よりも前に練習を始めたりする学生がいるのをよく見かけた。 そのなかには主力選手もいて、平日は授業で忙しく、午後の本練習に出られないので朝練習の時間にポイント練習をやっていた。