本物か偽物か…「鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛」の魅力とは? 繊細な描き方に注目
「本物か偽物か…それを決めるのは向こうじゃねぇ…お前自身だ」。これは、今年輝かしく幕を開けた松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」の最新作・連続シリーズ「鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛」で、幸四郎演じる五代目“鬼平”(火付盗賊改方長官・長谷川平蔵)が、和田聰宏演じる捕縛された盗賊・野槌の弥平一味の小房の粂八に放った一言だ。 「鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛」 人は良くも悪くも変化していく生き物である。時に“偽物”だった者が“本物”になることもあり、信じていた“本物”が実は“偽物”だったと裏切られることもあるだろう。 そんな人間の真偽を確かめるのは、他の誰でもなく自分自身。己が本物だと思ったものが本物であり、偽物だと思ったものが偽物である。だからこそ私たちは常にその真偽を確かめる“心の目”を磨いていかなければならない。そんなことを決して多くは語らない平蔵が、教えてくれているような気がした。 ■映像美に注目! 幸四郎主演「鬼平犯科帳」の最新作となる「血頭の丹兵衛」が、7月6日(土)に時代劇専門チャンネルにて独占初放送される。これを機に、ぜひ多くの方に「鬼平犯科帳」と出合っていただきたい。なぜかって? 本作が実に魅力的だからである。 そもそも『鬼平犯科帳』とは、1968年、文芸誌「オール讀物」で連載が開始された池波正太郎三大シリーズ(『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』)の代表作で、累計発行部数3000万部を超えるベストセラー時代小説。1969年に初代・松本白鸚主演で映像化され、以来4度映像化されている。 幸四郎主演「鬼平犯科帳」の見どころは、なんといっても映像の美しさではないだろうか。本作は着物や景色等が華やかで鮮やかだ。加えて殺陣のシーンは、実に優美で大迫力である。観ているだけで、目が幸せ…眼福なのだ。 またセリフで伝えるのではなく、画で登場人物たちの心の機微を伝えているようにも思う。表情ひとつのシーンでも何テイクも重ね、光の当たり方や角度を試行錯誤しながらベストな映り方を見つける、そのプロフェッショナルな作り方には脱帽してしまう。だからこそ、「鬼平犯科帳」は観るものそれぞれの解釈で、各々が自身の心情と重ね合わせて時に泣き、時に考えさせられる。そしてどこかグッと心の深いところに響くのだ。 ■「血頭の丹兵衛」の魅力は繊細さと純粋さ このたび放送される「血頭の丹兵衛」でも、もちろんその魅力は健在である。幸四郎自身も「本作は迷いながら生きる粂八の苦悩と、それをしっかりと感じて更生へ導いてゆく平蔵を繊細に描いているところが魅力に感じます。『鬼平犯科帳』は、登場人物の人生が繊細に描かれているところが、傑作たる所以かと思います」と語っていた。 今回は、前作「でくの十蔵」にて火付盗賊改方に捕らえられた盗賊・小房の粂八と江戸で凄惨な盗みを繰り返す盗賊“血頭の丹兵衛”(古田新太)を巡る物語が展開される。粂八が知っている、かつて自分のお頭だった盗賊・血頭の丹兵衛は、“殺さず、女を犯さず、貧しき者から盗まず”という三ケ条を掟とする本格派の盗賊だった。そのため、粂八は残虐な盗みを働く血頭の丹兵衛は“偽者”だと主張し、密偵となって血頭の丹兵衛一味が潜伏しているという島田宿に赴きたいと平蔵に願い出る。果たして、血頭の丹兵衛は“本物”なのか“偽物”なのか? 今回の主人公と言っても良い粂八の魅力を幸四郎はこう分析していた。「粂八の“自分の信じること”への純な姿に、平蔵は希望を感じたのではないかと思います」。そんな粂八にとっての希望であり光でもある“本物”とは一体なんなのだろうか。ぜひ、彼の目を通して“本物”を見て欲しい。あなたもきっとその純粋さにハッとして心動かされることだろう。 また「でくの十蔵」に引き続き、今回も本編後には出演者たちが「血頭の丹兵衛」について語り合う、時代劇専門チャンネルだけのスペシャルトーク番組も放送される。本編とはまた違ったゆるっとしてクスッと笑える仲睦まじいトークは実に面白い。さらに、7月6日(土)はテレビスペシャル「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」と連続シリーズ「鬼平犯科帳 でくの十蔵」も放送されるため、この機会にぜひ「鬼平犯科帳」の世界にどっぷりと浸かってみてはいかがだろうか?五代目鬼平は私たち視聴者にとっても光となるはずだ。 構成・文=戸塚安友奈