『スター・ウォーズ』日本初公開日記念!その誕生の裏側を河原一久が読み解く【全4回―③】
大人向け作品に昇華させたメビウスの功績
さて、「大人の鑑賞にも耐えうる作品」というレベルにまで達したコミックやバンド・デシネは、次のステップとして「子ども向け」ではなく、はじめから「大人向け」の作品の創造を目指していく。そんな中、日本で最も知られ、最も功績のあった作家はメビウスだろう。 バンド・デシネの代表的な作家のひとりであるメビウスは1974年にそれまでの低年齢層向けだったものを一気に大人を対象とした雑誌「メタル・ユルラン」を中心メンバーとして創刊(アメリカでは「ヘヴィ・メタル」のタイトルで発行された)。その衝撃と影響は世界に広がり、特に1976年に掲載した『ロング・トゥモロー』はリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」やウィリアム・ギブソンの著作にも影響を与えたことで知られる。 また、メビウスは映画制作の現場にも深く携わり、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が企画した「デューン」に関わり、企画が頓挫したものの、ここで共に関わったダン・オバノン、H・R・ギーガー、クリス・フォスらとは後に「エイリアン」を担当することになる。日本においてメビウスの影響は鳥山明や大友克洋、荒木飛呂彦、浦沢直樹らにも認められるし、手塚治虫はメビウスのファンであることを公言し、彼の来日の際にも尽力している。 中でも宮﨑駿はメビウスの「アルザック」に衝撃を受け、その影響の下「風の谷のナウシカ」を作ったと認めている。一方のメビウスもまた宮﨑の作品に感銘を受け、娘をナウシカと名付け、来日した際には親子でジブリ美術館を訪れている。のちに2人はパリで展覧会を開き、そこではメビウスが描いた「ナウシカ」、宮﨑が描いた「アルザック」が展示された。そしてジョージ・ルーカスその人も多くのコミックブックから影響を受けたこと認めており、その筆頭としてメビウスの名も挙げている。1989年発行のメビウスのアートブックにはルーカスが序文を書いているほどだ。