「実家はクリーニング店、私は看板娘でした」濱田マリ(55)今一番の生きがいは再開したバンド活動「ずっとやり残した気持ちがあって」
──「モダチョキ」といえば、大阪を中心に活動していたエンターテイメントバンド。ギターやドラムに加え、金管楽器も含めてメンバーは20人以上ですよね。全員揃うのも大変だと思います。 濱田さん:たしかに大所帯バンドなので、活動するにはエネルギーが必要です。でも再結成してみて、めっちゃ楽しいっていう気分が原動力になっていますね。みんなが演奏を頑張ってくれているので、私もボイストレーニングに通って歌を頑張っています。2023年にリリースした新曲『きんかん』も「この曲出しちゃえ!」と、みんなの情熱や時間を注いで形になったものだと思います。
── 濱田さんにとってモダチョキは、生きがいみたいなものでしょうか? 濱田さん:趣味です!今はもう仕事ではなくて、趣味にしています。
■俳優の仕事は神様からのプレゼントかもしれない ── 近年は映画やテレビで濱田さんの活躍をよく拝見しています。俳優として活動するきっかけは何だったのですか? 濱田さん:「モダチョキ」のミュージックビデオの撮影がきっかけで、俳優をやってみたいと思ったんです。監督から演出されてカメラの前で演じることが、すごく楽しかった。演出家さんがおっしゃることを体現し、それが映像として残る。MVだと、歌詞の世界を表現しているに過ぎないのですが、演技をしていることがすごく楽しくて。本格的に演技をやってみたいという気持ちが芽生えていきました。当時は本業は歌だから、芝居の仕事は難しいと事務所から言われていたのですが、モダチョキが活動停止になったタイミングで、「今だ! 」と思って。
── ちょうどいいタイミングだったのですね。 濱田さん:活動停止はショックでしたが、当時は前しか向いていなかったですね。俳優の仕事を頑張れと、神様がくれたプレゼントなのかなと考えました。 ── 朝ドラ『カムカムエブリバディ』ではクリーニング店を営む夫婦役を好演されました。ご実家もクリーニング店だったそうですね。 濱田さん:そうですね。父親が経営しているクリーニング店を、小さなころからよく手伝っていました。なんだかやりがいを感じてしまって、成人してからも手伝いを続けていて。看板娘というか、むさ苦しいおっさんがひとりでやっていたお店で、ピチピチのヤングガールが働いていましたからね。かなりの戦力だったんじゃないかと思います(笑)。
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