「実家はクリーニング店、私は看板娘でした」濱田マリ(55)今一番の生きがいは再開したバンド活動「ずっとやり残した気持ちがあって」
『カーネーション』『カムカムエヴリバディ』など朝の連続テレビ小説をはじめ、数々の作品で俳優として存在感を発揮してきた濱田マリさん。2021年には「人生の心残りだった」と語る、バンド「モダンチョキチョキズ」を再結成。50歳を過ぎた1児の母が今、大きな熱量を注いでいます。(全4回中の1回) 【写真】「これで50代とは」24年の時を経て「モダチョキ」を再結成した当時の濱田マリさん ほか(全13枚)
■5年で活動を休止した「モダチョキ」がずっと心残りで ── 濱田さんのキャリアのスタートは「モダンチョキチョキズ」でのバンド活動でしたが、子どものころから歌がお得意だったのですか。
濱田さん:歌うことはとっても好きでしたね。歌謡曲が好きだったので、子どものころから歌マネみたいなものを家族の前で披露したりして。高校生のころにはアマチュアバンドを組んでライブ活動を続けていました。そうしたら、コンテストやテレビ番組に出演する機会がだんだんと増えて。ちょうどバンドブームの波に乗れた感じです。 ── 2021年に「モダチョキ」の復活ライブを実現し、今も不定期でライブ活動を続けていますよね。
濱田さん:「モダチョキ」は1992年にデビューして、約5年間で活動を停止しました。それから25年近く経ってメンバーが50歳を超えたときに、過去を振り返ったんですよね。ちょうどコロナ禍で、いろいろと考える時間があったから。人生を振り返って「やり残りたことは何だろう」って考えたら、私のなかでは圧倒的にモダチョキだったんです。 ── 俳優やナレーターとしてのキャリアを積むなか、やり残していたのがバンド活動だったのですね。
濱田さん:それまでもモダチョキへの思いが頭をよぎることはありましたが、コロナ禍で一気に人恋しくなってしまって。バンドメンバーのグループLINEでやりとりしていて、「もう一度やりたい」っていう気持ちが高まっていたのだと思います。ただ、言い出しっぺは責任を取らされてしまうので、誰もが口をつぐんでいたんです(笑)。そうしたら、バンドマスターのYuzi Brian 絵野から、「僕が責任もってやりますから、どうですか?」って申し出があって。「その言葉を待ってました!」という感じで、再結成に至りました。
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