“ペットと桜” 日中がいがみ合うのは似ているから? 日本人と中国人の違いと複雑な感情
北京市内のとある宴席での出来事。かつて私の実家で飼っていた犬に、仕事上のストレスや疲れを癒やしてもらっていたと話していたときだ。「犬や猫は人と全く違う生き物だから可愛いと思える。日本人と中国人は似ているからこそ違いも際立ち、良くない感情も持つ」(日中外交筋)と言われた。 【画像】北京の桜 中国語で花見を指す言葉は「見る」という「看」だけでなく「賞」という字も使う 確かに飼い主とペットは上下関係が明確で、「可愛い」「好き」の感覚は人に対するものとは違うだろう。ペットにとっては飼い主が一番近い存在で愚痴や不満を言うこともない。一方、人と人との関係は感情や損得、欲も絡むだけに簡単にいくものではない。深く付き合うほど、難しさが増すこともある。「可愛さ余って憎さ百倍」「近親憎悪」とはよく言ったものだ。 では「近くて遠い国」と言われるお隣の中国人と日本人は似ているのか。また互いにどのような意識があるのだろうか。
日本人と中国人の相似点、相違点
髪の毛や肌の色、箸や漢字を使う文化などを考えれば、少なくとも欧米人より日本人と中国人は似ているだろう。 春の風物詩である桜などの「花見」は中国にもあるが、中国語で花見を指す言葉は「見る」という「看」だけでなく「賞」という字も使う。単純に見るというより「観賞する」「楽しむ」の意味を含む表現で、なかなか味わいがある。それぞれの漢字に意味があることも、英語や欧米の言葉とは根本的に違う。 桜の魅力である「儚さ(はかなさ)」をある中国人に伝えようと思い、あれこれ表現していたところ、「無常だ」と言われたこともある。直訳ではないが的を射た表現だと感心し、欧米人には理解しにくい感覚だろうと思った。 その一方、スポーツでは卓球の中国戦、野球やサッカーの韓国戦などでの応援は欧米諸国と対戦するときよりも熱の入り方が違う気がする。お互い「この国だけには負けられない」という意識がはたらくのではないか。それは中国や韓国にとっても同じだろう。 「ライバル意識」などと言っているうちはいいが、政府レベルでは事情が複雑になる。中国に渡航する際のビザ免除は、欧州や東南アジアに解禁の動きが広がる中、日本の免除は遅々として進んでいない。「中国にとって得になること」(日中外交筋)は間違いなく、その効果は隣国の日本が一番大きいはずだが、中国の国内感情なども絡むだけに、かえって踏み出しにくいのかもしれない。日本の国会議員も台湾を訪問する人は多いが、中国に来る議員は極めて少ない。リスクと考えている向きが多いのだろう。 歴史問題になるとさらにやっかいだ。中国外務省はいまだに「侵略戦争」「軍国主義」の反省を頻繁に持ち出す。もはや「耳たこ」だと言ってもいい。政治的なカードの意味合いも強く、そこには未来志向の考えも、桜の良さを語る意識も感じられない。 ただ、若者の考えや価値観は政府の対応とは全く違うようだ。北京の大学に勤める日本人関係者に聞くと、日本に関するやりとりで歴史問題に触れる学生はほとんどいないという。アニメやゲームなど、自分の好きなものは国籍に関係なく選び、楽しんでいるそうだ。「日本のものが浸透し、特別なものではなくなった」という。 確かにアニメに限らずファッションや食など、街に日本を感じさせるものはいくらでもある。かつての海賊版や偽物の商品はかなり減った。北京の日常では「日本のものが定着し、浸透した」などと意識することすらないのが本音である。 総じて言えば、同じアジアの日中両国に似ているところは多々あるが、そこに個々の感情や政治的事情が加わるとかえって複雑になり、むしろ反発したり障害になるということかもしれない。少なくとも中国では立場や年代、生活水準、分野などによって違いや感じ方は様々で、その幅も日本人が考えるよりもはるかに大きいのだろう。日本から見れば対中感情の悪化に伴い、ネガティブな部分がクローズアップされている気がする。