元幕内炎鵬の「弓取り式」に送られた声援と、拍手に思う
もう一つ。寛政3年6月、徳川11代将軍の家斉上覧相撲で小野川に勝った谷風が自ら矢を振った史実が残る。矢を受けた谷風はうやうやしくささげ、四方に振り回したという。当時の儒学者成島峯雄の「すまい御覧の記」に書かれている。
炎鵬は国技館の土俵に立つのも、大勢の人前に出るのも、大銀杏を結うのも1年前の夏場所以来だった。感激した口調で「気が引き締まった。まだ相撲は辞められない、と改めて思った。これからまた頑張りたいという気持ちになった。土俵に戻ったときを楽しみにしてほしい」と再起への決意を強くにじませた。朝乃若もまた、「拍手もあっていい雰囲気。早く関取へ戻って大勢のお客さんの前でまた相撲を取りたい」。
炎鵬や朝乃若の表情と声を聞いて、現代を思う。力士を前向きにさせた弓取り式を、もっと柔軟に運用してみてはどうだろう。平成7年12月には「ファン感謝祭」と銘打たれたイベントで当時幕内の人気力士だった舞の海と、旭道山が弓取りを披露している。巡業や引退相撲、勧進相撲、そして本場所でも。機会を選びながら、弓取りの門戸をより広げても悪くはあるまい。(奥村展也)