コーヒーで旅する日本/四国編|新旧のくつろぎの時間がゆるやかに共存。創業50年の老舗、「ふるーと」の包容力に喫茶店の力を実感
全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。 【写真を見る】旬のいちごを贅沢に使った、冬~春限定の乙女の苺チーズケーキ700円。濃密な果実の香りに目を見張る 四国編の第21回は、徳島県石井町の「ふるーと」。かつて徳島県内の東西のメインルートだった国道沿いに、1974年に創業。当時は沿道に喫茶店が並び立った界隈も年々寂しくなるなか、店を何とか残したいと、2代目の井内さんは試行錯誤を重ねている。年季を重ねた店内を改装し、コーヒーのリニューアルや新たなスイーツの考案に取り組み、創業者の思いを新たな形で継承。昔からの常連と新しいファンが共にくつろげる場として、再びにぎわいを取り戻しつつある。「自分自身が喫茶店に救われることが多いので、その体験を同じようにお客さんにも提供したい」という井内さんが信じる“喫茶店の力”とは。 Profile|井内公美(いうち・くみ)さん 1972年(昭和47年)、高知県生まれ。学校の教員を経て、結婚を機に徳島へ。主婦として過ごしたあと、夫のまなぶさんの両親が営む、1974年創業の喫茶店「ふるーと」の営業に携わるようになり、2016年に2代目として店を引き継ぐ。店の内装のリニューアルや、オリジナルのチーズケーキの考案など、新たな試みを重ねて、地域の憩いの場を守り続けている。 ■店の顔だった“伝説のママ”の跡を継いで 吉野川に沿って、徳島県を東西に貫く国道192号沿い。郊外の街並みの中で目を引く、白壁の瀟洒(しょうしゃ)な店構えが現れる。「以前は、徳島市街から西に通じるメインルートで、沿道にも喫茶店がたくさん並んでいました。うちの斜向かいにもあったそうですよ」とは、「ふるーと」の2代目店主の井内公美さん。店内は今どきのカフェと呼んでもいい空間だが、実は1974年創業の老舗。夫のまなぶさんの両親が始めた店は、調理担当の父がマスター、ホール担当の母がママとして切り盛りしてきた。開店ほどなく食事のメニューも充実させ、ランチのエビフライが人気だったとか。まなぶさんにとっては、幼いころから店に出入りし、多くの常連客にかわいがられた思い出の場所でもある。 ところが時代を経て、高速道路やバイパスが開通したことで状況が一変。交通の流れが大きく変わり周りの店も徐々に閉じていった。さらに、1996年に店の顔でもあったママが急逝。その後もマスター一人で続けたものの、「当時の常連さんはみんなママさんのファンで、それをマスターが支えるというのが、この店のスタイルだったので、マスターだけですべてをこなすのは大変で。メニューも食事がなくなり、最終的にはコーヒーのみの営業になっていました」 そう話す公美さんが嫁いできたときには、ママは亡くなったあとだったが、常連客から「明るくて、よく気が利いて、みんなに好かれる人だった」と、多くの人に慕われた往時の姿を聞いてきた。あるときなど、強面のお客の文句に一歩も引かずに対応し、その肝の座りように相手が感じ入ったというエピソードも。愛嬌と度胸を併せ持った人柄を聞くにつけ、公美さんにとっては“伝説のママ”とも言える存在になっていた。 そんなママ亡きあとも、細々と店は続いていたが、年々寂しくなっていく様子を見ていられなくなったまなぶさん。何とかしたいとの思いから頼ったのが公美さんだった。「店に対する思い入れは人一倍で、“おかんの喫茶店をどうしても残したい”という思いがひしひしと伝わってきましたね」という夫からのたっての頼みと、常連客からの声にも推され、公美さんが2代目を引き継ぐことに。とはいえ、公美さんの前職は学校の先生。飲食店の経験ゼロからのスタートだった。しばらくはマスターと2人で店に立ったが、最初のころ、一番心配していたのは、常連さんに受け入れてもらえるかどうか。「注文の仕方一つでもそれぞれ決まっていて、コーヒーのミルク・砂糖の有無から、お決まりのカップや新聞の種類まで、一から覚えるのは時間がかかりましたが、わかってしまえば慣れるもの。皆さん、本当にいいお客さんなので」と振り返る。 ■“ふゆくま”のネーミングに込めた思い 持ち前の柔和な人柄で店に溶け込み、やがてコーヒーに合うスイーツの考案に取り組み、年季を重ねた店の改装にも着手。2016年、半年の休業を経て、店がリニューアルすると共に、公美さんも正式に2代目を引き継いだ。同時にコーヒーの仕入れ先も一新し、前回登場した高知のコーヒー7不思議の豆を使用。「以前から、プロとしてコーヒーを追求する姿勢が好きで、開店前に訪ねて、店主の山本さんに喫茶店に携わることを伝えたら、“うちのブレンドに名前を付けて使ってもらったらいいですよ”と言ってくださって」と公美さん。以来、定番となった2種のブレンドに、最近は神山町の豆ちよ焙煎所から届く、月替わりのブレンド・ストレートもメニューに加わった。 それでも、急に客足が戻ることはなく、2代目となってしばらくはケーキが売れ残ることもしばしばあった。「売れずに捨てることもままあってつらかったですね。そのころは、暇な時間に店の隅に座って、“いい店なのになー”と独り言を言いながら、コーヒーを飲んでることもありましたね」と公美さん。店先には、“好きなだけ店にいてください”という看板を掲げていたほど、のんびりとしていた店はしかし、1年ほど経つと行列ができるほど、お客が押し寄せるようになる。 多くのお客のお目当ては、公美さんが店を継ぐにあたって考案した、オリジナルのチーズケーキ。そもそもは、「のんびり過ごしてもらうには甘いものが必要」と作り始めたものだった。以前から食べ歩きが好きだった公美さんだが、実は「当時、ケーキを手作りするということは、自分の辞書には載っていませんでした(笑)」との由。それでも、ほかと同じにはしたくないと一念発起、独学でひたすら試作を重ね、一時は朝食をチーズケーキにして毎日のように試食していたことも。「このチーズケーキは、家族みんなで頑張って開発したもの。ほかにも、店の改装のときは壁を家族総出で塗ったりと、まさに一丸となって店作りをしてきました」 そんな過程を経て最初にできたのが、ふゆくまチーズケーキ。家族の名前の頭文字をつないだというネーミングに、思い入れの深さがうかがえる。当初は、3種のチーズを贅沢に使ったふゆくまチーズケーキ、ニューヨークスタイルのふゆくま“基本の”チーズケーキの2種から始まり、後にスパイシーなエキゾチックシナモンやレアチーズ、乙女の苺、苔色抹茶などバリエーションを広げている。 ■喫茶店の力を信じて、創業以来の憩いの光景を再び 新たな名物となったチーズケーキは、SNSや口コミで評判を呼び、登場から1年ほどで一気に人気が爆発。日によっては、2、3時間待ちになるときもあり、午後からは常連客が入る余地もなくなっていった。「うたた寝できる。というコンセプトで、ゆったりと過ごしてもらいたかったんですが、このときは理想のイメージからは離れてしまっていました」と公美さん。苦心の末に始めたのが、完全予約制の営業スタイルだった。現在、午前中は常連客が集まる時間として、コーヒーのみのメニューで営業。ケーキも提供する午後は2時間ずつの3部に分けて予約制にして、月に6~8日の営業に変更。このスタイルにしたことでようやく、「ふるーと」はゆっくり時間を取れて安心という支持を取り戻していった。「希望が重なると抽選になるのは心苦しいですが、何となく”まさに今だ”、というタイミングの方が来てくださっているような気がします。引っ越しを控えた方とか、妊婦さんとか、偶然かもしれませんが不思議なご縁を感じますね」 一方で、午前に集うお客は、往年の「ふるーと」を知る60~90代まで、10人ほどのお馴染みの顔ぶれで話に花が咲く。このときばかりはタバコもOK。創業以来の、この店の日常が続いている。今では公美さんも、すっかりその輪の中の一員だ。「私にとっても、朝は癒やしの時間になっています。このひと時があっての午後の営業という感じで、皆さんに元気をもらっています」。改装を経た空間は、「お洒落になりすぎないようにという匙加減は考えました」と言うとおり、店というよりは家のリビング・ダイニングの趣がある。常連客にとって、ソファ席に収まっておしゃべりする時間は、近所の寄り合い感覚なのかもしれない。現在の営業スタイルは本意ではないかもしれないが、「昔からのお客さんと、新しいお客さん、どっちの時間もあるというのがこの店らしさ。自分自身が喫茶店に救われることが多くて、その体験から、同じような時間を提供したいという思いがありました。自分を取り戻す感覚というか、喫茶店の力ってあると思うんです」 そう話す公美さんは、店にいるときは、いまだに先代ママの気配があるように感じるという。「何となく見えない力があるような気がして。私は、それに愛想つかされないようにしないとと思います。店のポテンシャルはすごいですから」。2人のママが顔役になって歩んできた「ふるーと」は、2024年に50周年の節目を迎える。2代目として試行錯誤を続けてきた公美さんが思い描く、この店の本来あるべき姿は、当初から変わらない。「先々、娘が店の運営を一緒に担ってくれるなら、いつかは予約制をなくしてもいいかなと思っています。そのときは、朝のお店の光景が、午後のお客さんたちとも再現できたら、と想像しています」 ■井内さんレコメンドのコーヒーショップは「14g」 次回、紹介するのは、徳島市の「14g」。 「創業のころから通っていた、徳島のコーヒーロースター・アアルトコーヒーの庄野雄治さんとえつこさん、ご夫婦が営むお店です。店主の庄野えつこさんとは、14gができてから知り合って、お互いにお店を行き来しています。周りを明るく照らすような人柄で、話すといつも元気をもらえる存在。私にとっては、庄野さんに会いに行く場所ですね」(井内さん) 【ふるーとのコーヒーデータ】 ●焙煎機/なし(コーヒー7不思議・豆ちよ焙煎所) ●抽出/ハンドドリップ(ハリオ) ●焙煎度合い/中煎り~深煎り ●テイクアウト/なし ●豆の販売/なし 取材・文/田中慶一 撮影/直江泰治 ※記事内の価格は特に記載がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
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