さまざまな技術を駆使した「超絶技巧」、日本の古典に登場する「道行」のスゴさを堪能してみる
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第一〇回)。 【前回】『「神」や「幽霊」をこの世に呼び出す…日本の「古典の登場人物」たちが「各地を放浪する」理由』の記事では、能において、現実と夢幻のあいだにあって「神」や「幽霊」を呼び出す者として「ワキ」という役割があること、そして、ワキはさまざまな場所を漂泊するが、その道中は「道行」という謡で表現されることを解説しました。 そんな「道行」は、能が成立する以前には、軍記物語などでも描かれましたが、そこではきわめて巧みな技術が用いられていました。
古来愛唱されてきた道行
『平家物語』の巻十に斬首のために鎌倉に送られる平重衡の道行、「海道下」があります。宴曲「海道」が元になっています。そして、『平家物語』の道行は『太平記』にも影響を与え、日野俊基(ひの・としもと)の関東下向の道行が作られます。 「落花の雪に踏み迷ふ、片野の春の桜がり、紅葉の錦を衣て帰る、嵐の山の秋の暮」から始まるこの道行は、その文章・韻律の美しさで古来愛唱されてきました。一部を紹介しましょう。 憂きをば留めぬ逢坂の 関の清水に袖濡れて、 末は山路を打出の浜 沖を遥かに見渡せば、 塩ならぬ海(注:琵琶湖)にこがれ行く 身を浮舟の浮き沈み、 駒も轟と踏み鳴す 勢多の長橋打ち渡り、 行きかふ人に近江路や 世のうねの野に鳴く鶴も 子を思ふかと哀れ也。 ※改行筆者
謳われる俊基の想い
鎌倉への謀反の疑いで捕らえられながら一度は釈放された俊基ですが、再度の謀反の罪で関東に送られます。再犯を許さないのが鎌倉の掟。首を斬られることは必定。旅の途中で斬られるか、鎌倉で斬られるか。そんな思いで逢坂の関に着きます。 旅人は留めるが、つらい気持ち(憂き)は止めてくれない逢坂の関。そこの清水に我が袖が濡れるのか、あるいは自分の涙で袖が濡れるのか。涙を流しながら山路を打ち出ると、そこは打出の浜。その浜から沖を遥かに見渡せば、塩ならぬ(淡水の)海、琵琶湖が見える。湖上を船は浮き沈みしながら漕がれていくが、私の身も焦がれて、浮き沈む。 馬の足音、轟と踏み鳴らすという勢多の長橋を打ち渡り、行き交う人たちに会うという近江路。しかし、私はもう親しい人たちと会うことはできない。憂き世という名を持つうねの野に鳴く鶴は、その子を思って鳴いているかとあわれに思い、私も我が子を思って泣いている。… 掛詞、縁語などを縦横に使い、そこに俊基卿の心情も謡っていく、それが軍記物の道行です。 そして、この方法が能の道行に影響を与え、その後の芸能の道行につながっていきます(能の様々な道行や、近松門左衛門の『心中天網島』「道行名残の橋づくし」などもぜひご覧ください)。
安田 登(能楽師)